15世紀にイギリスから広まり、忘れ去られた恐ろしい疫病「粟粒熱 (そくりゅうねつ)」その原因は今も不明

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突如ヨーロッパを襲った謎の伝染病「粟粒熱」

1485年、謎の伝染病がイングランドで発生した。その後徐々に広がりを見せ、ヨーロッパじゅうに蔓延し、最後の記録は1551年となっている。

その症状は、まず熱が出て悪寒がし、頭痛、首、肩、四肢の激痛、耐えがたい疲労感に苦しめられる。悪寒が30分から3時間ほど続くと、次に熱が出る。やたらと汗をかき、異様に喉が渇いて、うわ言を言い出す。

脈が異常に速くなり、動悸がして胸の痛みを訴える。しまいには、衰弱して昏睡状態に陥り、二度と目覚めることはない。

粟粒熱の恐ろしいところは、発病してから亡くなるまでが非常に早いことだ。ほとんどの患者は、最初に症状が出てから18時間以内に死ぬ。最初の24時間をなんとか生き延びた者だけが回復した。

66年間で5回のパンデミック

粟粒熱は、1485年から最後の記録が残っている1551年の66年の間に5回ほど流行した。

粟粒熱が初めて発生した1485年は、ヘンリー7世の時代で、ボズワースの戦いのすぐ後だった。わずか1ヶ月の間に1万人以上の人が死んだ。

次の1507年の発生のときは、それほど広まらなかったが、3度目の流行のときは深刻で、人口の半分が死んだ町もあった。

1528年にはロンドンで4度目の流行が始まり、またたく間にイングランド全体に広まった。ヘンリー8世は病気を避けて、ロンドンから逃げ出し、住まいを転々として毎晩ベッドを変えたと言われている。

ロンドンと同様、ハンブルグでも突然急速に広まり始め、数週間で1000人以上が死んだ。その後、スイス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、リトアニア、ポーランド、ロシアにまで広まって、ヨーロッパじゅうで猛威をふるった。1551年以降は、なぜか発生していない。

この病気の特徴は、とくに裕福な上流階級に広まったことだ。公爵、司教、市長などが皆、犠牲になった。王室も例外でなく、ヘンリー8世の妃、アン・ブーリンも感染したが、治癒したと言われている。ヘンリー7世の長兄アーサー・チューダーの不可解な死も、この粟粒熱だったらしいと言われている。

ハンタウイルスか?アルボウイルスカ?その原因は特定できず

現代の学者は、この病気は未知のハンタウイルスによって引き起こされたのではないかと推測している。

ハンタウイルスは、齧歯類がキャリアになって媒介し、人間に致命的な肺の感染症を引き起こす。発熱、咳、筋肉痛、頭痛、倦怠感といった、インフルエンザのような症状が出る。致死率は36%と高い。

他にも、蚊やダニによって広まるアルボウイルスではないかと推測する学者もいる。

粟粒熱は雨が長引いたり、広範な洪水が起こったりした後で発生することが多いため、イギリスのじめじめした気候が原因なのではないかという学者もいる。

もし、アルボウイルスが原因なら、イギリス諸島の中でも高緯度で寒冷な地域、つまりスコットランドやウェールズでは影響がなかったことの説明になるかもしれない。

粟粒熱の原因については、食品についていたボツリヌス中毒、菌による食中毒、炭疽菌まで、ほかにもさまざまな説があるが、どれも断定には至っていない。

What was sweating sickness?

突如発生し、突如消滅

ほとんどの伝染病と同様、この病気も突然発生して、突然消滅した。粟粒熱に似ている病気は、ピカルディ熱あるいは腸チフスだけで、これらは18〜19世紀の間に、ドイツ、ベルギー、オーストリア、スイス、イタリアで何度も発生している。

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