70年にわたるF1の歴史……ホイール・トゥ・ホイールの極上バトル10選

sport

スライダー

リスト

10位:2014年バーレーンGP|ルイス・ハミルトンvsニコ・ロズベルグ

1/10

写真:: Steve Etherington / Motorsport Images

2014年シーズンは、メルセデスが圧倒的な強さを発揮し始めたその最初の年となった。開幕戦ではニコ・ロスベルグが勝利し、第2戦ではルイス・ハミルトンが優勝。いずれもメルセデスが1-2フィニッシュを果たした。続く第3戦バーレーンGPでは、ロズベルグが意地を見せてやり返し、互角の力があることを、チームメイトに知らしめた。

ロスベルグはポールポジションを獲得したが、抜群のスタートを見せたハミルトンに先行されてしまう。ロズベルグはすぐに抜き返そうとしたがこれは叶わず、ハミルトン首位のままレースが進んでいく。

18周目、ロズベルグはターン1で一旦はハミルトンを抜いて首位に浮上するもの、直後にハミルトンがさらに抜き返し、その周でピットインすることになった。

ふたりの距離はその後一時広がるが、セーフティカーが出動したことにより、急接近。レース終盤までの激しいバトルが始まる。残り5周という時点で、ロズベルグはハミルトンの前に出ることに成功するが、ブレーキングを遅らせすぎたためにコーナーをオーバーシュート。やはりハミルトンが首位を守った。

結果的にハミルトンが連勝を果たすことになったわけだが、それでもロズベルグが好敵手であることを示すには、十分すぎる内容であった。

9位:2019年イギリスGP|マックス・フェルスタッペンvsシャルル・ルクレール

2/10

写真:: Gareth Harford / Motorsport Images

最近のライバル関係といえば、シャルル・ルクレール(フェラーリ)とマックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)のふたりとも言えるだろう。2019年シーズンも、オーストリアGPを始め、度々ホイール・トゥ・ホイールのバトルを繰り広げてきた。

イギリスGPも、彼らが激しく戦ったレースのひとつ。ギリギリの戦いではあったが、互いに敬意を払う、フェアなバトルだったと言える。ふたりはレースで何度も戦い、クラブコーナーではアウト側から、フェルスタッペンがオーバーテイクを決めて見せた。

この後ふたりはオーストリアで相見えるが、その時にルクレールは、フェルスタッペンと「いつもより厳しい」バトルを演じたと認めている。このオーストリアでは、フェルスタッペンがオーバーテイクする際、ルクレールをコース外に押し出したとして審議対象ともなった。

なおイギリスでのフェルスタッペンのオーバーテイクは、2019年のFIAアクション・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。

8位:2007年日本GP|フェリペ・マッサvsロバート・クビサ

3/10

写真:: Sutton Images

1977年以来、久々に富士スピードウェイで行なわれた日本GP。このレースは、秋の大雨に見舞われ、大乱戦となった。

最初の19周は、セーフティカー先導での走行。これが解除された後は、ルーキーのルイス・ハミルトン(マクラーレン)が、ミスを犯さずに走り切り、トップチェッカーを受けることになった。チームメイトで、タイトル争いのライバルだったフェルナンド・アロンソは、アクアプレーニング現象の餌食となり、クラッシュすることになってしまう。

フェラーリのフェリペ・マッサは、4番グリッドからスタートしたものの、タイヤ交換のタイミングなどもあり、7番手で最終ラップを迎えた。そして、BMWザウバーのロバート・クビサを追いかけることになった。

ふたりは、雨に濡れ、水しぶきで煙った富士スピードウェイで、激しいバトルを演じた。マッサは、ターン3でクビサ攻略に成功したように見えた。ただ、クビサは諦めず、ランオフエリアも存分に使ってやり返す。

テクニカルな第3セクターでは、マッサがクビサを2度もコース外に押し出したが、なんとかふたりとも無事で最終コーナーへと辿り着いた。ただここではマッサがアウト側……クビサはマッサをコース外に追い出すことになった。

しかしマッサは、ランオフエリアを使って加速。クビサを引き離してチェッカーを受けた。激しすぎる”6位争い”だった。

7位:1990年メキシコGP|ナイジェル・マンセルvsゲルハルト・ベルガー

4/10

写真:: Ercole Colombo

1990年のメキシコGPは、色々なことがあった1戦だった。マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナは、3番グリッドからのスタートだったものの、レース序盤をリード。ライバルのアラン・プロスト(フェラーリ)は、13番グリッドからのスタートだった。

ただプロストはレースでは驚異的な追い上げを見せ、終盤にはタイヤに苦しんでいた首位セナに追いつくことになった。そして残り10周、プロストはセナをパスし、遂に先頭にたった。その後まもなく、セナの右リヤタイヤがバーストし、リタイアすることとなった。

プロストは見事なリカバリーで勝利を収めたが、レースのハイライトは、彼のチームメイトであるナイジェル・マンセルの戦いぶりだったと言えよう。マンセルは、セナのチームメイトだったゲルハルト・ベルガーと、レース終盤に激戦を演じたのだ。

マンセルはベルガーに、ターン1でオーバーテイクされてしまう。しかし彼は諦めず、最終ラップへと向かう最終コーナー”ペラルタダ”のアウト側を走り、ベルガーを抜き去った。

ただベルガーも諦めずに食らいついていくが、ポジションは変わらず。チェッカー時のふたりの差は0.2秒以下だった。

6位:2000年ベルギーGP|ミカ・ハッキネンvsミハエル・シューマッハー

5/10

写真:: McLaren

F3時代からライバル関係にあったミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハー。彼らはF1に昇格してからも、タイトル争いを演じた。そのふたりの最も印象的なバトルが、2000年のベルギーGPだったと言えるだろう。

レース序盤はウエットコンディションだったこのレースで、マクラーレンのハッキネンがリードを築いた。しかしフェラーリを駆るシューマッハーはすぐにこの差を埋めていった。

タイヤ交換を終えた後、ハッキネンはスタベローでコースオフ。シューマッハーが先行することになった。

シューマッハーはそのままレースを制するかに思われた。しかしレース終盤、彼はタイヤに苦しめられることになる。

40周目、ハッキネンはラ・ソースから加速を続け、ケメルストレートでシューマッハーに勝負をかけた。しかしシューマッハーが執拗なブロック。この動きにより、ハッキネンはコースオフしかけ、フロントウイングにダメージを負った。

ハッキネンはこれに怒り、シューマッハーを抜く決意を新たにした。コース上には多くの周回遅れのマシンが走っていて、これもハッキネンには追い風となった。

シューマッハーはケメルストレートで、周回遅れのリカルド・ゾンタ(BARホンダ)をオーバーテイクする。一方、その直後にいたハッキネンは、ゾンタのイン側に進路を取った。そのため、シューマッハーは防戦することができず、ハッキネンが首位に立つことになったのだ。そしてそのままトップチェッカーを受けた。

間に挟まれる形となったゾンタは余計な動きを見せず、自らのラインをキープしていた。

5位:1991年スペインGP|ナイジェル・マンセルvsアイルトン・セナ

6/10

写真:: Rainer W. Schlegelmilch

カタルニア・サーキットで行なわれたスペインGP。今やシーズンに定着したサーキットであるが、これが初めての開催だった。

レースをリードしたのは、マクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガー。その後方でアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)、ミハエル・シューマッハー(ベネトン)、ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ)がポジションを争った。当時のシューマッハーは、まだデビューから4戦目である。

マンセルはそのシューマッハーを抜き、次はセナに挑んだ。メインストレートでマンセルは、セナのスリップストリームを使い、1コーナーにサイド・バイ・サイドで飛び込んでいった。この時のシーンは、同年の写真の中でも特に有名な1枚だと言えよう。これでマンセルが首位に立った。

ただその後マンセルは、タイヤ交換に手間取ったことでポジションを失うことになるが、セナがスピンしポジションを奪い返す。そして首位のベルガーをも交わして、彼のレースの中でも最高とも言えるパフォーマンスを発揮して優勝を手にした。

4位:2005年サンマリノGP|フェルナンド・アロンソvsミハエル・シューマッハー

7/10

写真:: Steve Etherington / Motorsport Images

2005年のサンマリノGPは、オーバーテイクがなくてもF1は最高に面白いという代表的な例だ。

ルノーのフェルナンド・アロンソは、首位を走っていたキミ・ライコネン(マクラーレン)がドライブシャフトを壊したことで、リードを手にした。フェラーリのミハエル・シューマッハーは13番グリッドからのスタートだったが、順調に順位を上げていった。

アロンソが最後のピットインを行ない、BARのジェンソン・バトンを抜いたことで、シューマッハハーはこのシーズン初めて首位に浮上。シューマッハーが最後のピットストップを終えた時にはアロンソが首位に立っていたものの、明らかにシューマッハーのスピードの方が優れていた。

ただアロンソは、シューマッハーの攻撃に耐えた。度重なる仕掛けにもしっかり対処し、トップでチェッカーを受けたのだ。これでアロンソは、同シーズン3勝目。ただ速いだけではなく、鋼のような強さも、落ち合わせたドライバーであるということを、周囲に証明した1戦でもあった。

3位:1986年スペインGP |アイルトン・セナvsナイジェル・マンセル

8/10

写真:: LAT Images

ヘレス・サーキットで行なわれた1986年のスペインGPは、F1史上最も僅差の決着となったレースのひとつだ。ウイリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルは、チームメイトであるネルソン・ピケをレースの早い段階で抜き、ポールシッターのアイルトン・セナ(ロータス)に戦いを挑んでいった。ふたりは見事な戦いを繰り広げたが、結局はマンセルがセナを抜き去ることになった。

ただマンセルは、マクラーレンのアラン・プロストとの戦いに敗れたため、タイヤ交換を決断。この判断は功を奏し、すぐにプロストを抜くと、古いタイヤを履き続けるセナに挑んでいった。そして最終ラップの最終コーナーでマンセルは、セナのスリップストリームを使い、フィニッシュラインになだれ込んでいった。

ただ、マンセルの追撃は一歩及ばず、トップチェッカーを受けたのはセナだった。ふたりの差は、僅か0.014秒だった。レース後マンセルは、自分とセナには、ボーナスとして7.5ポイントが与えられるべきだと冗談を言った。

2位:1969年イギリスGP|ジャッキー・スチュワートvsヨッヘン・リント

9/10

写真:: LAT Images

1969年のイギリスGPは、スリップストリームを使ったバトルが展開された、印象的なレースのひとつだったと言える。

当時のシルバーストンにはシケインがなかったため、モンツァ同様の超高速サーキットとして知られていた。そして、素晴らしいレースを数々生み出していった。

このレースのスターティンググリッドについたのは、わずか17台。それでも、ジャッキー・イクス(ブラバム)とブルース・マクラーレン(マクラーレン)の間に素晴らしい戦いはあった。ただレースを走り切れたのは10台のみ。しかも全車が優勝したジャッキー・スチュワート(マトラ)に周回遅れにされた。

それでも、観衆の注目はスチュワートとヨッヘン・リント(ロータス)の激しい首位争いに注がれた。ふたりは何度もポジションを入れ替える、激戦を展開していったのだ。

しかしその戦いは、”劇的ではない”形で決着がつくことになった。リントのリヤタイヤは、リヤウイングの翼端版に干渉してしまっており、ピットインしなければならなかったのだ。

結局スチュワートは、イクスとマクラーレンを周回遅れにして勝利。それでも、スチュワートとリントの戦いは、F1の歴史上最高のバトルのひとつに数えられるモノだった。

1位:1979年フランスGP|ジル・ビルヌーブ vsルネ・アルヌー

10/10

写真:: Ercole Colombo

かつてのF1では、ホイール・トゥ・ホイールのバトルが悲劇的な結果を生む可能性もあった。この1位となった1979年のフランスGPも、そういった時代の1戦だ。

このレースでは、ジル・ビルヌーブ (フェラーリ)とルネ・アルヌー(ルノー)のふたりは、卓越したマシンコントロール能力を披露したのだ。

ディジョンで行なわれたこのレースでビルヌーブは、3番グリッドからスタートした。フロントロウには、ポールシッターのジャン-ピエール・ジャブイユとアルヌーのルノー勢ふたりが並んだ。

ただビルヌーブは首位に立ち、ジャブイユに対して快適なリードを築いた。ただジャブイユは、辛抱強く機会を伺っていた。そしてビルヌーブが周回遅れに追いついた時、オーバーテイクのチャンスが訪れた。

首位に立ったジャブイユは、ビルヌーブとの差をみるみるうちに広げていった。一方でビルヌーブは無理に追いかけることはせず、タイヤを労ることを決めた。今やビルヌーブは、もう1台のルノーを警戒しなければならないポジションにいたのだ。

アルヌーはビルヌーブの背後で2周を走ると、残り3周という時点でターン1でオーバーテイクを仕掛け、イン側から追い抜くことに成功した。これには、詰めかけた観客も大いに沸いた。

ビルヌーブは一旦大きく遅れたかに見えたが、続く周回のターン1で、タイヤをロックさせながらインに飛び込み、再びポジションを奪った。残りは2周だ。

最終ラップに入った際には、ビルヌーブ→アルヌーの順。しかしやはりターン1で、アルヌーがインに入り、ふたりはサイド・バイ・サイドで横並びとなった状態で、コーナーを駆け抜けていく。アルヌーが前に出るが、コーナーを曲がり切れずにオーバーランをしたことで、その勢いを失う。これでビルヌーブが前に出るものの、アルヌーも譲らず……ホイールとホイールをぶつけ合いながら、アクセルを踏んでいく。その後もポジションを入れ替えながらレースが進んでいき、結局ビルヌーブが2位。アルヌーは3位となった。

ジャブイユは31年ぶりに母国GPで勝ったフランス人ドライバーということになり、チームも観客も大興奮だった。しかしそれでも、このレースは素晴らしい2位争いによって、今も語り継がれている。

関連記事

関連コンテンツ

最新ニュース20件