「シャーデンフロイデ」という名の脳内報酬
見知らぬ誰かがネットで炎上しているのを眺め、指が止まり口元が緩む。そんな経験は誰にでもあるはずだ。ドイツ語で「シャーデンフロイデ(他人の損害を喜ぶ感情)」と呼ばれるこの感覚は、性格の悪さでも暇つぶしでもなく、脳に組み込まれた明確なメカニズムだ。2000年代前半、千葉の量子科学技術研究開発機構(QST)で高橋秀彦らのチームがfMRI実験を行い、その正体を可視化した。
嫉妬は「痛み」、転落は「ご褒美」――脳が区別する二つの回路
被験者(大学生)に「自分と似た境遇で自分より優秀な同級生」の物語を読ませた。登場人物が順調なとき、被験者の前部帯状回(anterior cingulate cortex:身体的痛みも処理する領域)が活性化した。嫉妬は脳にとって「痛み」に近い。続く展開で同級生が仕事や恋愛で挫折すると、こんどは腹側線条体(ventral striatum:ご馳走や金銭報酬で反応する報酬系)が光った。しかも嫉妬で前部帯状回が強く反応した人ほど、転落時の腹側線条体反応も大きかった(Takahashi et al., 2009, Science)。
「他人の不幸は蜜の味」は比喩ではなく、脳内でドーパミンという「蜜」が実際に分泌されている。本人が「喜んでいない」と否定しても、報酬系は正直に動く。
「自分に関係ない他人の失敗」でも報酬系は反応する
このメカニズムは「自分と似ていて、自分より上の相手」に限らない。ボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキースの熱狂的ファンを対象にした実験では、自チームが得点したときだけでなく、宿敵が無関係の第三チームに敗れた場面でも同じ報酬領域が活性化した(Cikara et al., 2011, PNAS)。自チームの得にはならないのに「蜜」が出る。さらにスキャン中に腹側線条体の反応が強かったファンほど、2週間後のアンケートで「敵チームファンへの野次・脅迫・暴力」を容認しやすかった。
日本のネット文化にも同じ構造がある。「飯馬(めしうま=嫌いなチームが負けて飯が美味い)」という言葉は2000年代初頭、巨人戦の掲示板から生まれた。
「自業自得」ほど甘い――正義の名を借りた報酬
オーストラリアの心理学者チームが「高く登った人が転落する場面」で喜びの強さを測ったところ、最も濃い「蜜」が出たのは「ズルをして上り詰めた人の転落(自業自得と感じられる場合)」だった(Feather & Sherman, 2002)。努力で上がった人の失脚はそれほど甘くない。脳は「罰を受けるに値する不正」を検知すると、報酬系を強く駆動する。
ロンドン大学(UCL)タニア・シンガーらの研究では、金銭ゲームで「不公平に振る舞った相手」が電気刺激で痛がるのを見たとき、被験者(特に男性)の共感回路(前部帯状回・前島皮質)は抑制され、代わりに腹側線条体が活性化した。報酬反応が強かった人ほど「仕返ししたい」と回答した(Singer et al., 2006, Nature)。
自分の損を顧みず「罰する」脳――協力を守る進化の装置
なぜ損をしてまで罰するのか。スイス・チューリッヒ大学のエルンスト・フェアらの「信頼ゲーム」では、裏切られた側が自分の金を払って相手の利益を減らす「高コスト罰」を選べた。ほぼ全員が罰を実行し、腹側線条体が活性化。強く光った人ほど多く払った(de Quervain et al., 2004, Science)。
フェアらの「公共財ゲーム」でも、罰則なしでは協力が崩壊するが、「自分の金を払ってフリーライダーを罰せる」条件では協力が持続した。メンバーを毎回入れ替え「二度と会わない」設計でも人は罰した。直接の利益はゼロなのにだ。「罰すると気持ちいい」という報酬装置が、集団の協力を進化的に支えてきた(Fehr & Gächter, 2002, Nature)。
チンパンジーも6歳児も「制裁の見物」にコインを払う
この装置はヒト特有ではない。ライプツィヒ動物園の実験では、チンパンジーが「意地悪な人間(食べ物を奪う人)」が棒で叩かれる場面を見るために、重い引き戸を自力で開けて覗きに行った。見ても得はないのにだ(Mendes et al., 2018, Nature Human Behaviour)。同様の実験を6歳児に行うと、意地悪な人形が叩かれるのを見るために手持ちのコイン(後でシールと交換可能)を払った。4・5歳児は払わなかった(Mendes et al., 2018)。「ざまあみろ」の味は、チンパンジーと学齢期直前の子どもにも共有されている。
村八分には「終わり」があった――ネットにはない
日本の伝統的制裁「村八分(むらはちぶ)」には、暴走を防ぐ三つの装置があった。
- コストがかかる:付き合いをやめれば自分も相手の手を借りられない
- 顔が見える:毎日顔を合わせる相手だ
- 一度で終わる:話し合い(寄り合い)で「これで終わり」と決める場があった
「怒りの言葉」はよく拡散し、実行するのはごく少数
ニューヨーク大学のチームがSNS投稿約56万件を解析したところ、道徳・感情両方に関わる言葉(ひどい、許せない、恥ずかしい等)が1語増えるごとにリツイート等の拡散回数は約20%増加した(Brady et al., 2017, PNAS)。怒りの言葉は群れの中を速く走る。
一方、日本の経済学者・山口新一が2万人を調査したところ、「炎上に書き込んだことがある」のはネット利用者の約1%。単発の炎上で見れば約7万人に1人だ(山口新一, 2019, 『ネット炎上の構造』)。画面上の「世論」は、ごく少数が鳴らした警報が怒りの言葉に乗って遠くまで届いたものに過ぎない。
99%の「見るだけ」も報酬系を刺激している
書き込まなくても、読んで「いいね」を押して転送するだけで警報は少し大きくなり、腹側線条体は動く。夜ベッドで見て眠り、翌日には誰の件だったか忘れていても、その夜報酬系は作動していた。村なら1件の家が1回の制裁を受けて終わりだが、画面上では1人の人間が何万人分の「1回」を一度に浴びる。そして加側の100人に1人も固定ではなく、明日は受け側に回るかもしれない。
コストが戻れば装置は静かになる
相手が目の前にいる、自分の名前と顔が出ている、同じ投稿を見てもそこで指は動きにくい。チンパンジーが重い引き戸を開けたのは「本当に見たいとき」だけだった。スマホの画面は親指一つで開く。怒りのコストがほぼゼロになり、対象が無限に流れてくる環境では、石器時代の草原で機能していた「不正検知・制裁報酬システム」が暴走し、制御不能な炎上という現象を生んでいると考えられる。
残された問いと実践的ヒント
進化的不適応(Environmental Mismatch)の視点から見れば、炎上の愉しみは「バグ」ではなく「古い機能が新しい環境で過剰作動している」状態だ。完全に止めるのは困難だが、以下の環境調整がブレーキになり得る。
- 実名・顔出しの場で議論する(コストを復元する)
- 「一度で終わり」のルールをコミュニティごとに設ける
- 通知を切り、「流れてくる対象」を物理的に減らす