かつて百貨店の顔と呼ばれたエレベーターガール。日本では1929年に松坂屋上野店で誕生したと伝えられ、長く花形の接客職として親しまれてきました。しかし1990年代以降、各地の百貨店から姿を消し、名古屋の中日ビルでは2018年の建て替えに伴って配置が完全に廃止されたといいます。なぜこれほど多くの人が憧れた仕事がなくなったのか。その背景をたどると、「なくても回る」と言われた仕事や習慣をどう扱うかという、今の暮らしにも通じる問いが見えてきます。
エレベーターガールは「運ぶだけ」ではなかった
エレベーターガールの仕事は、ただ階を告げて扉を開閉するだけではありませんでした。各フロアの売り場構成や商品の場所、百貨店周辺の郵便局や駅までの道順、催事の最新情報まで頭に入れ、乗客の質問にその場で答える「動くインフォメーション」としての役割を担っていました。
手動式エレベーターが残っていた時代には、レバーを操作して停止位置を床とぴったり合わせる技術も必要でした。1cmの段差が高齢者やヒールを履いた人の転倒につながるため、何百回も練習して体で覚える仕事だったといいます。狭い空間で声の高さや速さ、お辞儀の動作まで整え、乗客の安全と案内を一手に引き受けていたのです。
姿を消した直接の理由は三つに分けられる
エレベーターガールが減っていった背景には、主に次の三つの変化がありました。
- エレベーターの自動化:停止位置をコンピューターが合わせる全自動式が広がり、手動操作の技術が不要になった。
- 人件費と維持費の見直し:制服代や研修費を含めると年間のコストが大きく、売り場の人員に回したほうが直接売上に貢献しやすいと判断された。
- 利用者の意識の変化:百貨店になくてもいいサービスを尋ねるアンケートでエレベーターガールが上位に入るなど、「いなくても回る」という認識が広がった。
バブル経済が崩壊した1991年以降、百貨店業界ではコスト削減の動きが強まりました。大手百貨店でも、新しく開業する店舗には最初から配置しない、土日や催事のときだけに縮小する、一部の店舗にだけ残すといった対応が分かれていきました。エレベーターガールは、必要だからいる存在から、いなくても営業できる存在へと位置づけが変わっていったのです。
「なくても回る」と言われたときに、何を残すか
この話は百貨店だけの昔話ではありません。仕事でも家庭でも、「なくても回る」と言われて手放すかどうかを迫られる場面はあります。そのとき、数字にできない価値をどう扱うかが分かれ目になります。
エレベーターガールの場合、売り場まで案内した客が実際に買い物をしてくれた、高齢の客が安心して来店できた、といった声はありました。しかし、それは売上やコストの数字としては測りにくく、維持の理由として通りにくかった面があります。ここから得られる判断の手がかりは、次の三つです。
- まず、数字にできない価値を具体的に書き出す。誰が、どの場面で、どんな助けを得ていたかを言葉にする。
- 次に、完全廃止ではなく縮小で残せる条件を考える。頻度を減らす、時間を限る、対象を絞るなど、負担を下げる形を探す。
- それでも難しい場合は、代替手段で同じ安心を渡せるか試す。案内板や音声、別のスタッフの一声で補える部分がないかを見る。
これは効果を保証する方法ではありません。ただ、「コストに見合わない」と切る前に、残す価値と縮小の選択肢を並べてみることは、仕事にも家事にも使える小さな手順です。縮小しても負担が続くなら、思い切って別の方法に切り替えるのも選択肢になります。
憧れの仕事が消えても、残るもの
エレベーターガールという職業は、多くの店舗で姿を消しました。それでも、乗客が迷わず買い物を楽しめるように案内するという発想は、案内表示やコンシェルジュ、音声案内など形を変えて残っています。完全になくなったわけではなく、役割の担い手と方法が変わったともいえます。
「なくても回る」と言われたとき、その仕事や習慣が本当に不要なのか、それとも形を変えれば残せるのか。その見極めには、数字と声の両方を見る姿勢が欠かせません。かつて百貨店の顔と呼ばれた人たちの仕事ぶりは、今も接客や案内の基準の一つとして、別の場所で生きているのだと思います。