ブルマはなぜ学校から消えたのか 体操着の普及と廃止をめぐる背景
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ブルマはなぜ学校から消えたのか 体操着の普及と廃止をめぐる背景

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学校の体操着として長く使われたブルマは、現在ではほとんど見かけなくなりました。その変化は、単にデザインが古くなったからではありません。動きやすさを求めて広がった衣服が、着る人の羞恥心や安全への懸念によって見直されていった経緯があります。

ブルマの出発点は「スカートの不便をなくす」衣服改革だった

ブルマのルーツは、19世紀半ばのアメリカにさかのぼります。女性の権利を訴える運動家だったエリザベス・スミス・ミラーは、長いスカートが階段の上り下りや家事の邪魔になることに疑問を持ち、膝下丈のドレスと足首で絞ったゆったりしたズボンを組み合わせた衣服を作ったとされています。このスタイルは、新聞編集者アメリア・ブルーマーが自身の媒体で紹介したことから「ブルーマー・コスチューム」と呼ばれるようになり、のちにブルマーという名称の由来になったと伝えられています。

日本には明治末期、海外の体操教育を持ち帰った教育者によって、体操用の衣服として紹介されました。ただし当時の日本では、女性がズボン型の服を着ることへの抵抗が強く、すぐに定着したわけではありません。裾が長く膨らんだ形だったため、現在の密着したブルマとは見た目も大きく異なっていました。

「動きやすさ」と「同調圧力」が広げた密着型ブルマ

戦後、女子の体育やスポーツが学校で本格的に行われるようになると、裾の膨らんだブルマが少しずつ広がりました。転機となったのは1964年の東京オリンピックです。女子バレーボール日本代表の活躍と、体にフィットしたユニフォームが「機能的な強さ」の象徴として注目されました。

その後、学校体育の全国組織から推薦を受けた制服メーカーが、密着型のニットブルマを最新モデルとして各学校に販売しました。同時期にはミニスカートの流行によって足を出すことへの抵抗感が薄れていたこともあり、露出度の高い体操着が受け入れられやすくなったとされます。1966年以降、わずか5年で半数程度の学校が採用し、1970年代前半には全国の中学校の約76%で使われるようになったとされます。

ただし、この急速な普及には「みんなが履いているから」という同調圧力も働いていました。機能性だけでなく、学校の決まりとして選ぶ余地が少なかった面も見逃せません。

履く側の負担と、後回しにされてきた声

密着型ブルマは動きやすい反面、肌の露出が多く、体型が目立つことへの抵抗感が伴いました。生理中の不安や、体操座りや走っているときに下着が見えないかという心配も、当時を振り返る声として語られることがあります。また、男子生徒や教員からの視線を気にする声もあったとされます。

こうした声は、学校の決まりだから、先輩も我慢してきたからという理由で表に出にくい状況がありました。体操着の選び方に、着る本人の気持ちが十分に反映されていなかった時代だったといえます。

性的商品化と盗撮被害が廃止を後押しした

1980年代後半から1990年代にかけて、使用済みの制服や体操着を売買する店、いわゆるブルセラショップが都市部を中心に現れました。メディアで取り上げられたことで認知が広がり、体操着に数千円から数万円の値がつくこともあったとされます。この状況は、女子生徒の衣服が性的な商品として扱われる空気を強めました。

さらに、体育祭や部活動の練習中に、保護者を装った大人が望遠レンズや隠しカメラで女子生徒を撮影する盗撮事件も報告されるようになりました。学校という安全であるべき場所が、性的な視線にさらされることが社会問題として認識されていきます。ブルマは露出が多い分、そうした被害の対象になりやすい衣服でもありました。

廃止は一斉ではなく、学校ごとの見直しから進んだ

ブルマの廃止は、ある日突然全国で決まったわけではありません。学校ごとに、ハーフパンツやショートパンツ、ジャージへと移行していきました。背景には、女子生徒の羞恥心への配慮、性的被害の防止、より自由に動ける服装への切り替えがありました。

現在では、体操着を選ぶときに「動きやすさ」だけでなく、着る人の尊厳や安全、気候への対応も含めて検討されるようになっています。ブルマが学校から消えた理由は、単なる流行の変化ではなく、衣服が人を傷つける可能性に向き合った結果だったといえるでしょう。

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