かつて夜7時といえば、多くの家庭でアニメが流れている時間だった。1980年代から1990年代前半にかけて、月曜から日曜まで各局が夕方のこの時間帯にアニメを並べ、多い時期には週15本を超える作品が放送されていたという。しかし今、ゴールデンタイムと呼ばれる夜7時台のレギュラーアニメはほぼ姿を消した。その理由を「子どもの数が減ったから」だけで片付けるのは早い。録画機器の普及、インターネットの広がり、アニメの収益モデルの変化、そしてテレビ局の編成判断が重なって起きた変化だった。
夜7時アニメが家族の真ん中にあった時代
1980年代半ば、テレビ朝日系では火曜夜7時から「藤子不二雄ワイド」として1時間のアニメ枠が組まれていた。忍者ハットリくん、パーマン、プロゴルファー猿といった作品が並び、金曜夜にはドラえもん、夕方にはお化けのQ太郎や怪物くんも放送されていた。テレビをつければ藤子アニメに出会えるのが、当時の子どもたちにとって当たり前の風景だった。
同じ時期、水曜夜7時にはドラゴンボールとめぞん一刻、日曜にはタッチ、土曜には漫画日本昔話やハイスクール!奇面組など、ジャンルを問わず各局がアニメを編成していた。アニメは見るだけでなく、おもちゃや文房具、ゲーム、学校での話題にまで広がる文化だった。聖闘士星矢の聖衣シリーズは累計550万個を売り上げ、ドラゴンボールのカードダスは約10年間で累計20億枚以上を販売したとされている。夜7時台のアニメは、翌日の放課後の遊びそのものだった。
少子化だけでは説明できない視聴率の低下
確かに出生数は1973年の約209万人から2005年には約106万人へと半減した。子ども向け番組が想定する視聴者層そのものが小さくなったのは事実だ。しかし、テレビ局が見ていた数字の裏側では、子どもたちの生活スタイルも変化していた。
ビデオデッキの普及によって、放送時間に合わせてテレビの前に座る必要性が弱まった。塾や習い事で夜7時に家にいない子どもは録画して後から見るようになり、リアルタイムの世帯視聴率だけでは作品の人気を測りにくくなっていった。さらに2005年にはインターネットの人口普及率が66.8%に達し、家庭の中でテレビ以外に時間を使う選択肢が増えた。家族全員で一つの番組を囲むという前提が、少しずつ揺らぎ始めていた。
アニメの収益モデルが「視聴率」から「作品の入口」へ
1990年代後半から、アニメ制作の現場では制作委員会方式が増えていった。出版社、映像会社、レコード会社、広告代理店など複数の企業が共同で出資し、それぞれが原作コミック、DVD、主題歌、グッズといった得意な窓口で利益を回収する仕組みだ。この方式では、テレビ放送で高い視聴率を取ることだけが目的ではなくなる。放送は作品を知ってもらうための入口としての意味合いが強まり、本当に作品を好きな人に届けて関連商品やイベントで支える形が広がった。
つまり、夜7時台で家族全員に見てもらうことだけが正解ではなくなってきた。アニメは深夜枠や休日の朝へ移っても、作品自体の価値を保てるようになっていた。
テレビ局の編成判断も「子ども向け」から「幅広い世帯」へ
フジテレビでは1999年秋に水曜夜7時でスタートしたワンピースが人気を集めていたが、その後、日曜夜7時30分、さらに日曜朝9時30分へと枠を移動した。これは作品の人気が落ちたからではなく、夜7時台にアニメを置けば家族全体を取れるという時代ではなくなってきたという判断だった。局としては、スマスマやめちゃイケのようなバラエティ番組で幅広い世帯を取れることが強みになり、夜7時台も子どもだけを狙うのではなく、番組全体の流れで考える必要が出てきた。
この編成判断の背景には、少子化による視聴者層の縮小と、録画やインターネットによる視聴スタイルの変化があった。夜7時台のアニメは、単に人気がなくなったから消えたのではなく、テレビの役割そのものが変わった結果として枠を追われた面が大きい。
今の暮らしに置き換えると
夜7時台のアニメが消えたことを寂しく感じる人もいるかもしれない。ただ、録画や配信サービスが当たり前になった今は、放送時間に縛られずに好きな作品を自分のペースで楽しめる。昔のアニメを見返すことも、家族で見たい番組を週末にまとめて見ることも、選択肢の一つとして考えられる。
無理に家族全員で同じ番組を見る必要はない。それぞれが別の画面で好きなものを見るのも、今の暮らしに合った形だ。懐かしさを手放さなくても、今のメディアとの付き合い方を自分で選べるようになったこと自体が、この変化がもたらした余白とも言える。
夜7時台のアニメが姿を消した背景には、子どもを取り巻く環境とテレビの収益構造、そして家族の時間の使い方の変化が重なっていた。懐かしむだけでなく、その変化を手がかりに、自分や家族にとって無理のない楽しみ方を探してみるのもいい。