「会議ではA案が多数だったのに、翌週には理由も示されずB案で進むと決まっていた」。こうした経験は、規模の大小を問わず組織で起こります。東京大学の次期学長選で、教員による意向投票で2倍以上の差をつけられた候補者が最終的に選出されたという出来事も、同じ種類の戸惑いを広げています。この記事では、決定の経緯を整理しつつ、選ばれた個人に批判が集中する構造と、自分がその場にいたら選べる対応を考えます。
投票結果と最終決定が食い違った
東大の学長選は、候補者を5名に絞った後、教員による意向投票を行い、最終的に総合判断で決まる仕組みです。公開されている情報では、今回の意向投票は2回行われ、いずれも藤垣裕子教授は対立候補だった副学長に2倍以上の差をつけられていました。1回目で過半数に達しなかったため再投票が行われ、2回目で対立候補が過半数を得たものの、最終的に選ばれたのは2位だった藤垣教授でした。
この結果に学内からも「何のために投票したのか分からない」という声が出ました。投票は参考情報に過ぎず、決定権は別の場にあったことが見えたからです。
「透明性」という言葉が決定を覆い隠す
大学側は、藤垣教授の学内外とのコミュニケーション能力を評価したと説明しています。一方で、今回の選挙は通常の信任投票とは異なる重みを持っていました。背景として、大学は国際卓越研究大学の認定審査で、文科省から法人としてのガバナンス改善を求められていたと報じられています。つまり、学長選は「外部から見て健全な運営をしている」と示す機会でもありました。
その文脈で、初の女性学長という事実は、大学の変化を印象づける材料になり得ます。大学側は女性枠ではないと否定していますが、投票結果を覆してまで選んだ理由の説明が不十分なまま、「透明性」という言葉だけが先に立った印象は否めません。透明性を高めると言いながら、最終決定をした非公開の会議体の詳細が示されなければ、かえって不信感は深まります。
批判が向かう先がずれる構造
このようなとき、SNSでは選ばれた個人への批判や「女性優遇ではないか」という声が増えがちです。しかし、個人の属性を責めても、決定の仕組みは変わりません。むしろ問題は、投票結果と最終決定の関係、非公開の会議体の構成、評価基準の開示といった手続きにあります。そこに説明がないまま、個人が看板にされることで、本来は決定権を持つ側が負うべき説明責任がかわされてしまいます。
同じ構造は職場の人事や会議にもある
たとえば、社内公募で社員投票が行われ、1位の人がいたのに、最終的には別の人が抜擢される。理由は「総合的に判断した」の一言だけ。この場合も、選ばれた人に「コネだ」「属性で選ばれた」と不満が集中しがちです。しかし、選ばれた本人に決定権があったとは限りません。むしろ本人も、不透明な期待を背負わされて動きにくくなる立場です。
周囲の人ができるのは、個人を攻撃する代わりに、判断基準と決定者を確認することです。たとえば「最終決定は誰が、どのような基準で行ったのか」と質問する。それが難しい職場であれば、少なくとも自分の中で「この決定はこの人のせいではない」と切り分けるだけでも、無駄な消耗を減らせます。
自分が「看板」にされたら、どうするか
もし自分が、投票や合意とは別の理由で役割を任されたら、まず確認したいのは「何を期待されているか」と「決定権はどこにあるか」です。仮の例として、「今回の選出理由を、社内に説明してもらえますか」と依頼する方法があります。本人が直接説明すると、かえって個人攻撃の的になることがあるからです。
ただし、組織内で声を上げることが難しい場合や、雇用や安全に影響が出る場合は、無理に正論で動く必要はありません。記録を残す、信頼できる同僚にだけ状況を共有する、転職を含めて選択肢を持つなど、自分のペースを守る行動が先です。また、周囲としても「あの人が選ばれたから悪い」ではなく、「決定の手続きが不透明なことが問題」と言い換えると、個人を傷つけずに済みます。
不透明さに疲れたときの判断材料
組織の決定に納得できないとき、すべてを一人で正そうと頑張りすぎないことが大切です。判断材料として、次の3つを確認してみてください。
- 決定の基準は文書や説明で示されているか
- 最終決定者は誰か、その会議は公開されているか
- 異議を伝える安全な経路があるか
これらが一つもない場合、その組織は透明性を看板にしながら、実質的には不透明な運用を続けている可能性があります。その場合、個人が内部から変えるには限界があるため、距離の取り方を考えるのも現実的な選択です。
東大の学長選で起きたことは、一つの大学の人事にとどまらず、多くの組織にある「決定の不透明さ」と「個人への批判の集中」を映しています。選ばれた人を責める前に、誰がどう決めたのかを問うこと。それが難しいなら、せめて自分の中で切り分けて、必要以上に誰かを傷つける側に回らないこと。その積み重ねが、少しずつ組織の説明責任を育てます。