たとえば、仕事で結果を出して上司に評価されたのに、心のどこかで「今回はたまたま運が良かっただけ」と打ち消してしまったことはないでしょうか。合格や昇進の直後ほど、「本当の自分はここにふさわしくない」と感じてしまう。その感覚には、性格の欠点ではなく、心の仕組みとしての理由があります。
心理学ではこの状態を「インポスター現象」と呼びます。インポスターとは「詐欺師」や「偽物」という意味です。1978年にアメリカの心理学者ポーリン・クランスとスザンヌ・アイムスが、博士号を持つ優秀な女性研究者およそ150人に話を聞いたところ、約7割が「自分がここにいるのは運や勘違いのおかげで、いつか実力のなさが周りにバレる」と答えたといいます。客観的には十分な業績がある人たちが、自分だけを偽物だと感じていたのです。
ここで大切なのは、インポスター現象は診断名ではないということです。誰にでも起こりうる心の癖であり、特定の性格の問題ではありません。むしろ真面目で有能な人ほど陥りやすい傾向があります。
褒め言葉を素直に受け取れないとき、何が起きているのか
この感覚を「実物」と「影」の関係で考えてみます。実物とは、実際のあなた自身。能力や経験、これまで積み上げてきたものです。そこに他人の視線という光が当たると、地面には評価という影が伸びます。私たちが普段見ているのは、この影のほうです。
影自体が嘘とは限りません。周囲が本当に高く評価してくれていることもあります。問題は、影の大きさを自分で測れないことです。自分の目から見える実物は等身大で頼りなく感じるのに、想像上の評価はとても大きく見える。この差が「自分はフェイクだ」という感覚を生みます。
影を作っているのは、他人の視線そのものよりも、あなたが想像した他人の視線です。「あの人はきっと自分をこう見ているはずだ」という想像の光が、影を長く伸ばします。実物のサイズは視線や想像では変わりません。変わるのは影の長さだけです。
SNSの時代に影はさらに伸びやすくなった
かつて評価の光が当たる場面は、家族や職場、ご近所など限られていました。今はスマホを開けば、SNSの反応や投稿の数字が自分の価値のように見えてしまうことがあります。全方位から見られていると感じるほど、影は複雑に大きくなります。
光の角度は時間帯によっても変わります。朝の会議では自信があった人でも、夜のベッドの中で「自分は詐欺をしている」と震えることがあります。影は光次第で伸び縮みするため、同じ人でも場面によって感じ方が大きく変わります。
影が大きくなると、私たちは実物ではなく影に合わせて歩き始めます。あれだけ大きく見られているのだから、それにふさわしい自分でいなければ、と。しかし実力以上のふりを続けると、いつバレるかと怯えることになります。影を大きくすることは、自分を追い詰めることにもつながります。
成功は運、失敗は実力——原因の置き方のねじれ
インポスター現象の深い正体は、成功と失敗の受け取り方のねじれにあります。心理学では、ある結果の原因をどこに置くかという考え方の癖を「原因帰属」と呼びます。原因は大きく、自分の実力や努力という内側の原因と、運や状況、他人の助けという外側の原因に分けられます。
多くの人は、成功すれば自分の力のおかげ、失敗すれば運や状況のせいと考えがちです。これは自己奉仕バイアスと呼ばれ、心の標準装備のようなものです。この受け取り方によって、成功体験が自信の棚に積み重なっていきます。
ところがインポスター現象を感じやすい人の中では、この癖が逆にねじれています。成功しても「今回は運が良かっただけ」「良い上司に恵まれただけ」と外側に原因を渡してしまい、失敗すると「やはり本当の自分は無能だった」と内側に原因を置きます。
このねじれの何がつらいかというと、成功しても自信の棚に何も置かれないことです。何度成功しても棚は空っぽのまま、一方で失敗の記憶だけが内側に重く積み上がります。そのため、客観的には成功が続いていても、内側の実感は失敗続きの人と変わらなくなってしまいます。
心理学者バンデューラは、自分にはできるという感覚を「自己効力感」と呼びました。この感覚は、成功を自分の力と認めることでしか育ちません。成功を認めない限り、いくら成果を出しても自己効力感は育たないのです。
有能な人ほど自分を小さく見積もる理由
1999年に心理学者のクルーガーとダニングが発表した実験では、テストの点数が低い人ほど自分の点数を高く予想し、点数が高い人ほど自分の点数を低く予想する傾向が見られました。これは後にダニング=クルーガー効果と呼ばれるようになります。
この実験の逆側の傾向、つまり有能な人ほど自分を過小評価するという部分が、インポスター現象の土台にあります。ある分野で力がつくほど、その分野の広さと深さが見えるようになります。知らないことがどれほどあるかがはっきり見えてくるため、自分は無知だと感じやすくなるのです。
さらに上に行くほど、周りには同じくらい優秀な人ばかりが集まります。自分だけがまぐれでここに紛れ込んだように感じるのは、そうした環境の変化も影響しています。
影と実物を区別するためにできること
影を消すことはできません。人と関わって生きる以上、光は必ず当たります。目指すのは、影と実物を区別して見られるようになることです。そのためには、実物のサイズを他人の視線に頼らず測る必要があります。
たとえば、成功したときに「運が良かった」と片付ける前に、その結果に自分が関わった具体的な行動を書き出してみる方法があります。準備に時間をかけたこと、判断したこと、工夫したこと。それらは外側の要因ではなく、内側の実力の一部です。逆に失敗したときは、運や状況の影響もあったかもしれないと、外側の原因にも目を向けてみます。これは原因の置き方を一気に変えるというより、ねじれを少しずつ戻すための練習です。
また、想像の光が強くなりすぎたときは、誰の視線を気にしているのかを具体的にしてみるのも手です。不特定多数の「みんな」ではなく、実際に自分を見ている人は誰か。その人たちが本当に求めているものは何か。想像上の影を、現実の評価に近づけるきっかけになります。
褒められたのに素直に喜べないのは、あなたがひねくれているからではありません。成功を自分の力として受け取るための内側の枠がねじれているだけです。そのねじれに気づくこと自体が、偽物感と距離を置くための第一歩になります。