100年ほど前、ニューヨークの小学校にJと呼ばれる9歳の少年がいた。知能検査ではIQ190。同学年の平均が100だから、飛び抜けて高い。しかし教室では一度も学級の役に選ばれず、休み時間の遊びにもほとんど入れなかった。Jが正確さを求めて選んだ「素朴」「降参する」といった言葉は、同級生には「変わっている」としか伝わらなかった。
ところが、IQの高い子どもを集めた特別学級に移ると、その年のうちに学級新聞の編集長に選ばれ、続けて学級委員にもなった。J自身は何も変わっていない。変わったのは周りの集団だった。この記録は、話が通じるかどうかはIQの高さそのものより、相手との組み合わせで決まる面が大きいことを示している。
まとめ役になれるIQの高さには幅がある
このJの記録を残した心理学者は、多くの教室を見てきた経験から一つの見立てを書いている。平均IQが100の集団では、まとめ役になる子のIQは115から130に収まりやすい。130を超えると、まとめ役になる見込みは下がっていき、ほとんどなくなる。ただし平均が130の集団なら、IQ160の子でもまとめ役になりうる。
これは何千人もの測定から出した統計ではなく、あくまで観察に基づく見立てだ。IQは平均100、ばらつきの目安を15として作られた目盛りで、130以上はおよそ40人に1人。日本で「IQが20違うと会話が成立しない」と言われることがあるが、この20という数字は、こうした研究の頂上の差とそれほど遠くない。ただし、それは会話が必ず断絶するという意味ではない。
大人の職場でも同じ山が現れる
2017年に発表された研究では、30カ国の企業で働く379人の中間管理職が12分の知能テストを受け、部下や同僚、上司の計2905人から「リーダーらしいか」を評価された。リーダーたちの平均IQは約111で、一般より少し高い。評価はIQが上がるほど高くなったが、その上昇は120あたりで止まり、そこを超えるとむしろ下がった。
研究者たちの説明は、賢すぎる人は話が噛み合わず、集団から浮いて見えるため、リーダーらしく見えにくいというものだ。ただし、この研究が測ったのは周囲からの見え方であり、実際の仕事の成果ではない。頭の良さが高いこと自体が問題なのではなく、理解されにくい話し方が評価を下げている可能性がある。
難しい言葉は賢さの証拠にならない
アメリカのある大学で尋ねると、半分を超える学生が「頭がよく見えるようにわざと難しい言葉を使ったことがある」と答えたという。では、難しい言葉は本当に賢く見えるのだろうか。大学院の出願書類の文章を、意味が同じで一番長い言葉に次々と置き換えて読んでもらう実験では、言葉を難しくするほど書き手は「頭が良くない」と判断された。元の文章がよく書けていても、そうでなくても結果は同じだった。
フランスの哲学者デカルトの文章でも、難しい訳より優しい訳を読んだ人の方が書き手を賢いと判断した。さらに、内容も言葉もそのままなのに読みにくい飾り文字に変えただけで、書き手の評価は下がった。人は読みやすさを書き手の頭の良さの手がかりにしてしまう。読みにくさは、書いた人のせいにされるのだ。Jが選んだ「素朴」「降参する」も、本人にとっては一番正確な言葉だったが、聞く側には読みにくい文章と同じように受け取られた。
頭の中で鳴っているメロディは相手に届いていない
机を挟んで2人が座り、1人がよく知られた曲のリズムを指で叩いて伝え、もう1人が曲名を当てる。1990年にアメリカの大学院生が行ったこの実験では、叩く人は「半分くらいは当てられるだろう」と予想したが、実際に当たったのは120曲のうち3曲、2.5%だった。叩く人の頭の中ではメロディも歌詞も流れている。だから、相手にはコツコツという音しか届いていないことが想像できない。
これは経済学者たちが知識の呪いと名付けた偏りだ。何かを知ってしまうと、知らなかった頃の自分の立場には戻れない。曖昧な文で決められた意味を伝える実験でも、話した人だけが「伝わった」と過大評価し、横で意図を教えられて聞いていた人にはその思い込みはなかった。思い込むのは、話している本人だけなのだ。
親しい人ほどすれ違う
結婚して平均14年余りの夫婦24組が背中合わせに座り、「ここ暑くなってきたね」のような曖昧な文で「窓を開けて」と伝える実験では、夫や妻が意味を当てた割合は初対面の人と統計的に同じだった。それなのに、話した人は「配偶者には伝わった」と強く信じていた。大学生の友人同士でも、初対面の相手より相手から見えていないものに手を伸ばしてしまう回数が多かった。
夫婦はもともと知能が似ている。身長や性格など22の性質で比べると、夫婦の知能は身長よりも性格よりもよく似ているという。頭の良さが近い人と暮らしていても、言葉はすれ違う。話を通じなくさせているのはIQの差だけではない。ただし、差が大きいほど知っていることも普段使う言葉も離れていき、知識の呪いがかかる場所は増えていく。
通じ合う集団は何で決まるのか
699人を2〜5人の組に分けて様々な課題を解かせた2010年の実験では、組の成績はメンバーの平均知能とは強く結びつかなかった。結びついたのは、相手の気持ちを読む力と、発言の順番が均等に回っているかどうかだった。ただし、その後の追試では異なる結果も報告されており、この二つだけで通じ合いを説明できるわけではない。
2021年に日本で、特に高い力を持つ子どもとその周囲の人たちを対象に行われたアンケートには、「学校の友達と話すとき言葉を簡単にしなければ話が通じ合わない」「同級生より大人と話す方がいい」「授業で発言すると雰囲気を壊すので分からないふりをした」といった声が寄せられている。100年前のニューヨークの教室と同じことが、今の日本の教室でも起きている。
IQの差は、会話のすれ違いの一因ではある。けれど、それ以上に溝を広げているのは「自分の見えている世界を、相手も同じように見ているはずだ」という思い込みなのかもしれない。言葉を簡単にすることは、相手を下に見ることではなく、自分にかかった知識の呪いを外す作業に近い。話が届くかどうかは、相手との差の大きさより、その差を自分がどれだけ意識できるかにかかっているように思う。