何か問題が起きたわけでもないのに、ふと不安が浮かぶ。周りは順調そうに見えるのに、自分だけが足踏みしている気がする。そう感じるとき、自分の性格や生き方が間違っているわけではありません。多くの場合、原因は脳の初期設定にあります。脳はもともと、良いことよりも危険や失敗を先に拾うようにできているのです。
ここでは、その仕組みを整理したうえで、心が穏やかな人が日常で行っていることを見ていきます。特別な才能の話ではなく、今日から試せる小さな習慣です。
不安が浮かびやすいのは、脳が「危険」を優先して覚えるから
心理学的には、人は良い出来事よりも悪い出来事のほうを強く、長く覚えている傾向があります。これはネガティブバイアスと呼ばれます。
昔の暮らしでは、甘い果実の場所を覚えていることより、森の猛獣を覚えていることのほうが命に関わりました。危険を見逃す一度の失敗が、そのまま命を失うことにつながったからです。その名残として、私たちの注意は今も、否定的な情報にすばやく反応しやすいと考えられています。
「9回ほめられても、1回の批判のほうが長く残る」という言い方を聞いたことがある人もいるでしょう。あれは、この偏りをわかりやすく表したたとえです。
つまり、何も困ったことがないのに不安になるのは、人生の選び方を間違えたからでも、心が弱いからでもありません。脳が悪い知らせばかりを拾ってしまう、という説明ができます。ただし、この偏りの強さには個人差があり、育った環境や経験、体調によっても変わります。
心が「今ここ」から離れていると、幸福感は下がりやすい
ハーバード大学で行われた研究としてよく紹介されるものに、スマートフォンを使って日常の瞬間ごとの気分を尋ねた調査があります。参加者に「今何をしていますか」「別のことを考えていますか」と繰り返し尋ねたところ、起きている時間のおよそ46.9%は、目の前のことをしながら別のことを考えていた、という結果でした。
注目すべきは、頭に浮かんでいた内容が楽しいことでもつらいことでも、関係がなかった点です。心が目の前にない状態のとき、人は一様に幸福度が低いと答えました。逆に、退屈な皿洗いをしているときでも、その作業に集中しているときのほうが幸福度は高かったのです。
脳には、特に何もしていないときに働くデフォルトモードネットワークと呼ばれる領域があります。車で言えば、ギアをニュートラルに入れてエンジンだけを回しているアイドリングのような状態です。このアイドリングが長く続くと、心は過去の傷や未来の不安へ滑り込みやすくなり、過剰に働くほど不安や落ち込みが強くなるという関連も指摘されています。
何をするかより、心がどこにあるか。それが気分を大きく左右します。
穏やかな人の習慣1:五感を使って、今に戻る
思考は過去と未来を行き来しますが、体の感覚は今この瞬間にしか存在しません。昨日のお湯の温度を今感じることはできず、明日飲むお茶の香りを今嗅ぐこともできません。
心が穏やかな人は、この性質をうまく使っています。特別な瞑想をするのではなく、目の前の感覚に注意を戻すだけです。
- 皿洗いのとき、手に触れるお湯の温度を確かめる
- 皿の表面を滑る感触や、泡の形を眺める
- お茶を飲むとき、湯気、香り、喉を通る感覚を味わう
呼吸や体の感覚に注意を向ける練習はマインドフルネスと呼ばれ、ストレス反応をやわらげる方法として研究されています。数秒の集中でも、頭の緊張が少しゆるむことがあります。
ただし、効果の感じ方には個人差があります。過去のつらい記憶に触れて苦しくなる人もいるので、合わないと感じたら無理に続けなくてかまいません。
穏やかな人の習慣2:考えるより先に、体を動かす
気分が沈んでいるとき、私たちは「やる気が出たら動こう」と考えがちです。しかし、体を動かすことで脳が動き出す、という順番のほうが現実的な場面は多くあります。
横になったまま悩んでいると、暗い考えが次々に浮かびやすくなります。これは脳がネガティブなアイドリングをしている状態です。そんなときは、まず外に出て10分ほど歩くだけでも、視界と思考が少し変わります。
歩くことに加えて、日中に日光を浴びることも助けになります。太陽の光は体内時計を整え、睡眠に関わるホルモンのリズムを調整するとされています。今日の昼に歩いたことが、今夜の眠りの質につながる、というわけです。
特別なウェアも道具も必要ありません。ランチのついでに少し遠回りする、買い物のときに少し遠い場所に止める、といった程度で十分です。明るいことを無理に考えようとして気力を使い果たすより、体を先に動かすほうが負担は小さくなります。
穏やかな人の習慣3:寝る前に「よかったこと」を3つ書く
ポジティブ心理学の分野では、ペンシルベニア大学のマーティン・セリグマン教授の研究として、「3つの良いこと」を書き出す練習が知られています。眠る前に、その日あった良い出来事を3つ思い出し、短く書き留めるというものです。
劇的な出来事である必要はありません。
- 昼に食べたご飯がおいしかった
- 道端の花がきれいで、少し足を止めた
- エレベーターで誰かがドアを押さえてくれた
このような小さな断片で十分です。手帳でもスマートフォンのメモでも、続けやすいほうを選びます。
とはいえ、この習慣にも個人差があります。気分が大きく落ちているときは、良いことを探すこと自体が負担になることもあります。書けない日は飛ばしてよい、くらいの気持ちで構いません。
「幸せの半分は生まれつき」という数字の受け取り方
幸福感について、生まれつきの気質が50%、自分で選ぶ行動が40%、お金や環境が10%という整理が紹介されることがあります。環境を変えるより、日々の行動に余地がある、というメッセージとして受け取るとわかりやすいモデルです。
ただし、この数字はきっちり測られた配分ではありません。遺伝の影響をどう見積もるか、幸福をどう測るかによって変わります。数字そのものを覚える必要はなく、「環境をすべて変えなくても、日々の過ごし方に変えられる部分がある」という見方だけを持ち帰れば十分です。
それでもつらいときは、習慣だけで抱え込まない
ここで紹介した方法は、日常の気分を少し整えるためのものです。不安や落ち込みが長く続く、眠れない日が続く、生活に支障が出ているという場合は、習慣でなんとかしようとせず、医療機関や相談機関を頼ってください。助けを求めることは、甘えではありません。
まとめ:今日ひとつ選ぶなら
不安が浮かびやすいのは、脳が危険を優先して拾うつくりになっているからです。そして、心が今ここを離れている時間が長いほど、幸福感は下がりやすくなります。
穏やかな人がしているのは、特別なことではありません。皿洗いのときのお湯の温度を感じる。10分だけ歩く。寝る前に良いことを3つ書く。どれかひとつを、今日試してみるだけでも構いません。合わなければ、やめてもいい。続けるかどうかは、あとから決めれば十分です。