怒鳴らない。細かいことを言わない。部下の気持ちを尊重する。そんな上司は、職場では良い上司だと思われがちです。確かに、毎朝不機嫌に出社して机を叩きながら命令する上司よりはずっと働きやすいでしょう。
けれど、優しいことと何も言わないことは、まったく別です。問題を見つけても「今回はいいよ」と流し続けたとき、壊れるのはミスをした本人だけではありません。周りで黙って支えてきた人の心が、先に離れていくことがあります。
優しさと「何も言わないこと」は同じではない
職場では昔から、優しい上司は良い上司だと見なされやすい面があります。怒鳴らない、細かいことを言わない、部下の気持ちを尊重する、みんなから好かれている。どれも悪いことではありません。
ただ、ここには少し厄介な落とし穴があります。優しいことと何も言わないことは別であり、思いやりと問題の先送りも同じではない、という点です。
たとえば、次のような場面を想像してみてください。
- 仕事のミスを見つけた。でも本人が落ち込みそうだから言わない。
- 成果が足りないと分かっている。でも気まずくなるのが嫌で「よく頑張ったね」で終わらせる。
- 会議で明らかに準備不足だった。しかしその場の空気を悪くしたくないので笑って流す。
どれも一見すると、大人の余裕に見えます。しかし実際には、問題を未来の自分へ宅配便で送っているだけです。しかも着払いで、時間が経つほど料金は高くなっていきます。
言わない配慮は、周囲の負担を静かに増やす
本人から見れば、上司が何も言わないのですから「大きな問題ではないのだろう」と受け取ります。すると改善は起きません。その間に、周囲の負担だけが増えていきます。
仮の例として、こんな光景を考えてみます。ある人は自分の仕事を終えてから、その人の資料を直す。別の人は取引先に頭を下げる。また別の人は「今度こそ上司が言ってくれるだろう」と待っている。けれど上司は言わない。みんなが少しずつ疲れていく。
職場では、大声で不満を言う人より、何も言わなくなる人のほうが危険なことがあります。不満を口にしているうちは、まだ期待が残っているからです。本当に諦めた人は静かになります。会議でも反対しない、提案もしない。「どうせ言っても変わらない」と考えるようになる。そしてある日、突然退職を申し出ます。
上司はそこで驚きます。不満があったのか、と。あったのです。ずっとありました。ただ、見ようとしていなかっただけです。
全員を同じように褒めると、頑張る人が離れていく
さらに困るのが、全員を同じように褒める上司です。良い仕事をした人にも「よくやった」。普通の仕事だった人にも「よくやった」。明らかに準備不足だった人にも「まあ頑張ったね」。本人は公平に接しているつもりでいます。
ところが、優秀な人から見るとこれは公平ではありません。努力しても、しなくても同じ。責任を背負っても、背負わなくても同じ。それならなぜ自分だけ頑張る必要があるのか、と感じ始めます。
会社が弱くなるとき、必ずしも能力の低い人が増えるわけではありません。能力の高い人が力を出さなくなるのです。表面的な優しさは、問題のある人を守っているように見えて、実際には真面目な人の負担を増やしています。誰かを傷つけないための沈黙が、別の誰かを長い間傷つけ続けている、ということになります。
感情に寄り添うことと、相手のためになることは同じではない
ここで一度、立ち止まって考えてみたい問いがあります。相手の感情に寄り添うことと、本当に相手のためになることは、同じでしょうか。
相手が落ち込んでいる。それを見ると自分も辛くなる。だから厳しい話を避ける。これは自然な反応です。しかしその判断は、本当に相手のためなのか、それとも自分が気まずい思いをしたくないだけなのか。ここは大きな違いです。
仮の例を挙げます。病院で検査を受けたとします。医師が結果を見て、重大な問題に気づいた。でもあなたが落ち込みそうだからと、何も言わなかった。そんな医師を「優しい」と思えるでしょうか。むしろ、早く言ってくださいと思うはずです。
仕事も同じです。必要な事実を伝えることは、相手を傷つけるためではありません。相手がまだ変えられるうちに、変わる機会を渡すことです。
見るべきは「人」ではなく「場面・行動・結果」
もちろん、率直に言うことと乱暴に言うことは別です。「お前は仕事ができない」は評価ではなく、ただの攻撃です。
しかし「前回の会議では必要な数字が準備されていなかった。そのため判断が1日遅れた。次回からは前日までに確認してほしい」と言えば、話は変わります。見るべきなのは人間そのものではなく、起きた場面、実際の行動、その結果です。
「あなたはだらしない」と言われても、人は何を直せばいいのか分かりません。「昨日の資料で、確認が必要な項目が3つ残っていた」と言われれば、修正できます。良い指摘とは、相手を小さくする言葉ではなく、次に何を変えればいいのかが見えるようにする言葉です。
厳しい話をするときには、目的を伝えることも大切です。責めたいわけではない。次に成功してほしいから話している。今のうちに直せばまだ間に合う。そう伝われば、受け取る側の気持ちも変わります。同じ言葉でも、敵から言われたと思えば身構え、味方から言われたと思えば考える余地が生まれます。だからこそ、率直さには信頼が必要なのです。
「説明した」と「伝わった」は違う
新しい仕事の進め方を会議で説明したとします。資料は何十枚もあり、専門用語もたくさん出てくる。最後に「みんな分かったね」と聞けば、全員が頷きます。ところが翌日、現場では誰も正しく動けない。すると「あれだけ説明したのに」という言葉が出てきます。
ここで、本当に部下だけが悪いのでしょうか。説明したことと伝わったことは違います。話したことと理解されたことも違います。
まず自分に問いかける余地があります。説明は本当に分かりやすかったか。目的をきちんと伝えたか。計画が複雑すぎなかったか。必要な情報を渡していたか。本人に判断する権限があったか。任せたつもりで、責任だけを押し付けていなかったか。
これは、何でも上司のせいにするという意味ではありません。自分が変えられる部分を先に見る、ということです。
安心と厳しさは、どちらか一方では足りない
失敗を報告した瞬間に怒鳴られる職場なら、人はどうするでしょうか。できるだけ早く報告する、とはなりません。まず隠します。少し様子を見ます。自分で何とかしようとします。それでも無理なら、ギリギリになって報告します。その頃には、小さかった問題が大きくなっています。
つまり、怖い上司はミスを減らしているように見えて、実はミスの報告を減らしているだけかもしれません。これは大きな違いです。
逆に、何をしても許される職場も危険です。人間関係は良い。笑顔も多い。お菓子も配られる。でも成果は出ないし、誰も大きな挑戦をしない。注意もしない。「まあ、みんな頑張っているから」で終わる。居心地はいいけれど、長く浸かるほど、外に出るのが面倒になります。
強い組織に必要とされるのは、安心と厳しさの両方です。失敗を認めても人間として否定されない。しかし、失敗した事実はごまかさない。質問しても笑われない。しかし、学ぶ努力は求められる。助けを求めてもいい。しかし、自分の責任まで他人に渡してはいけない。
迷いを減らすことが、リーダーの仕事になる
指示が10個あれば、人は迷います。優先順位が3つなら、まだ動けます。1つなら、もっと強い。良いリーダーは、部下の頭の中を情報でいっぱいにする人ではありません。迷いを減らす人です。
目的を伝えたら、必要な権限を渡します。何でも上司の許可が必要なら、現場は動けません。取引先から相談されても、少し値段を調整するにも、上司に確認する。その上司が会議中なら、全員が止まります。これでは責任を持たせているのではなく、判断できない人を増やしているだけです。
だからこそ、基準は明確にする。目的も明確にする。その上で、方法は現場に任せる。自分で考えられる範囲を渡すと、人は少しずつ判断できるようになります。自分で考える人は失敗からも学びます。命令だけで動く人は、失敗したときに「言われた通りにやりました」で終わってしまいます。
早い段階で伝えることが、いちばん優しい
最初の「今回はいいよ」は、その場を穏やかにします。けれど同じ言葉が何ヶ月も続くと、問題は静かに大きくなります。そして最後に厳しい話をしたとき、相手は「そんなに悪かったんですか」と驚きます。それまで本当のことを教えてもらっていないのですから、当然の反応です。
もし早い段階で「ここは改善しよう」と伝えていたら、変わっていたかもしれません。3ヶ月前なら、まだ選べた道があったかもしれません。
明日できることは、それほど多くありません。一つだけ、具体的な場面と行動を選んで伝えてみる。人格ではなく、事実を。できれば目的も添えて。相手がまだ変えられるうちに、変わる機会を渡すこと。それが、表面的な優しさよりもずっと、相手のためになることがあります。