過去に起きた出来事が、今の自分の性格や選択を決めている——そう感じる場面は少なくありません。アドラー心理学は、この前提を一度ひっくり返します。過去そのものが現在を決めるのではなく、過去の出来事にどんな意味を与えたかが、今の生き方に関わってくる、という考え方です。
ただし、これは「気持ちの持ちようで何とかなる」という話ではありません。意味づけという視点と、原因ではなく目的を見る視点。その二つが何を変えるのか、そしてどこでこの考え方を使わないほうがよいのかを整理します。
人は出来事そのものではなく、意味づけを生きている
アドラーは、人間は「意味の領域」に生きていると考えたとされます。私たちは現実をそのまま体験しているのではなく、何らかの解釈を経たものとして体験している、という意味です。
たとえば、同じ職場の風景を見ても、そこに協力し合う仲間を見る人もいれば、競争相手しか見えない人もいます。経験した出来事が同じでも、そこに与える意味が違えば、見えてくる世界は変わります。
人生の意味についても、アドラーは絶対的な正解はなく、人の数だけ意味があるという趣旨のことを述べています。「人生の意味は何か」という問いが口をついて出るのは、たいてい何かにつまずいたときだ、という指摘も残されています。
ここで誤解したくないのは、つらい出来事の重さを軽く扱う話ではないという点です。意味づけが変わればつらさが消える、ということではなく、意味づけは一つに固定されていない、という話です。
原因論と目的論——アドラーが入れ替えた視点
過去の出来事が現在を規定している、という考え方を「原因論」と呼びます。アドラーはこれを否定し、「目的論」という見方を提唱しました。人には何らかの目的があり、その結果として今の状況が作り出されている、という考え方です。
仮の例で考える
仮の例として、幼少期に両親の離婚を経験した人が「どうせ自分は恋愛も結婚もできない」とふさぎ込んだとします。これは、離婚という原因が自分の生き方を決めた、という原因論的な結論の置き方です。
アドラー的な見方では、ここに別の可能性を読みます。本当は恋愛や結婚に関心があるけれど、失敗して傷つきたくない。その目的を果たすために、離婚という過去が「できない理由」として後から意味づけられているのではないか、という読み方です。
もう一つ、仮の例を挙げます。職場で思うような評価が得られず、その原因をすべて上司や会社のせいにしてしまう。このとき、仕事ができない自分を認めたくないという目的が、ダメな会社、ダメな上司という像を頭の中で作っているのかもしれません。
大切なのは、これを「言い訳だ」と断罪しないことです。多くの場合、そうした意味づけは自分を守るために無意識に働いています。アドラー心理学では、その防衛の上手・下手を裁くのではなく、目的のほうに目を向けます。
目的に目を向けると、何が見えてくるか
「自分は本当は何を望んでいるのか」「心の底から成し遂げたいことは何か」。目的を軸に考えると、そこへ向かうための手段が見えやすくなります。今すぐできること、今の自分ができる最大限のことは何か、という形で具体化できるからです。
目的と手段が分かれると、過去の出来事の解釈も動きます。あの経験にはこういう意味があったのかもしれない、と見え方が変われば、今の現実の見え方も少しずつ変わっていく。順番としては、過去を掘り下げるより先に、目的をはっきりさせるほうが先だ、というのがアドラーの立場です。
近年は、遺伝や環境ですべてが決まるという決定論的な説明が好まれる面があります。アドラーはこうした見方を退けました。すべてを環境のせいにして安心しても状況は改善せず、かえって相手から希望を奪い、苦しみを増やすことがあるからです。だからこそ、一人ひとりが自分の目的に合った課題と向き合い、一歩でも前進することを勧めたのだとされます。
アドラーは、人が向き合う課題として仕事・交友・愛という三つの領域を挙げていると紹介されています。どれも一人では完結しない課題であり、だからこそ「過去に縛られない」という視点は、対人関係のなかで試されることになります。
この考え方が向かない場面もある
目的論は、つらい経験をした人にそのまま当てはめるべきではありません。虐待や暴力、大切な人との死別のような経験は、意味づけを変えれば済む話ではなく、原因を丁寧に扱う支援が必要です。目的論を自分や他人に当てはめて、「つらさを自分で選んでいる」と責める使い方は、本来の趣旨から外れます。
不安や落ち込みが強く、生活に支障が出ている場合も、自己分析より先に専門的な支援が必要です。心理的な理論は、診断や治療の代わりにはなりません。
また、経済的な不利や制度の不公平など、個人の意味づけだけでは動かない現実もあります。目的論は「今の自分を説明する道具」ではなく、「これから何を選ぶかを考えるための視点」として持っておくほうが、無理がありません。
試すなら、こんな小さなところから
提案として、次のようなことを試してみるのはどうでしょう。まず、最近「〜のせいで」と口に出した場面を一つ思い出し、書き出します。次に、そのとき自分が避けたかったこと、あるいは得たかったことを一行だけ添えます。
- 「なぜそうなったのか」ではなく「何のためにそうしているのか」と言い換えてみる
- 答えが出なくても、そのまま置いておく
- 出てきた目的を、自分や誰かを責める材料にしない
うまく言葉にならない日があっても構いません。この作業に効果を保証はできませんし、合う人と合わない人がいます。しっくりこないときは、原因を丁寧に扱う別のアプローチを選ぶほうが自然です。
過去と今のあいだにあるもの
過去の出来事は消えません。ただ、その出来事が今の自分に与える意味は、一つに決まっているわけではない。原因を見る視点と目的を見る視点、両方を持っておくと、同じ過去を前にしても選べる道が少し増えます。