考えがまとまらないとき、私たちはつい「もっと考える時間を増やさなければ」と考えます。けれど外山滋比古さんの『思考の整理学』が示しているのは、少し違う方向です。足りないのは考える時間ではなく、いったん手を離して寝かせる時間なのかもしれない、という見方です。ここでは、この本で挙げられている考え方を、日常の場面に置き換えながら整理してみます。
なお、以下は本で述べられている主張と、そこから読み取れる解釈を分けて書いていきます。効果を保証するものではなく、合うかどうかも人によって違います。
グライダー人間と飛行機人間——「自分で飛ぶ力」の話
『思考の整理学』の土台にあるのは、教育に対する問題意識です。学校では、決められたカリキュラムに従い、教科書に沿って学ぶことが求められます。外山さんは、誰かの力によって知識を得ている人を「グライダー人間」、自力で飛び出せる人を「飛行機人間」と呼びます。グライダーは音もなく優雅に空を飛びますが、自分では舞い上がることができません。
ただし、本書はグライダー能力を全否定しているわけではありません。基礎知識を身につけるのはグライダー能力で、これはどんな学びにも必要です。問題は、グライダー能力ばかりが評価され、自分で考える力が置き去りにされること。だから外山さんは、グライダーにエンジンを載せてはどうか、と提案します。
ここで言う「エンジン」は、特別な才能ではありません。たとえば、教わったことを一度自分の言葉で言い直してみる、前提を疑ってみる、といった小さな動きも含まれます。(仮の例として)会議で配られた資料をそのまま読むのではなく、「この数字はなぜこうなっているのか」と一度引っかかってみる。そういう引っかかりが、自分で考える入口になります。
思考に向く時間と向かない時間がある
本書には、一日の使い方についての具体的な工夫も出てきます。外山さん自身は40歳ごろまで夜型だったが、朝の効能に気づいて朝型に切り替えた、と述べられています。朝食を抜き、昼食とまとめてブランチにし、その後に昼寝をして午後にもう一度集中の山を作る——というのが、その具体例です。
これはあくまで外山さん本人のやり方です。朝食を抜くと体調を崩す人、持病のある人、妊娠中の人など、そのまま真似するのが適さない場合もあります。大事なのは食事の回数ではなく、「自分は一日のどこで頭がはっきりしているか」を把握するという考え方のほうです。
(仮の例として)一週間、作業を始めた時刻と集中できた度合いを簡単にメモしてみる。すると、午前の早い時間は進むのに、食後は同じ作業でも捗らない、といった自分の傾向が見えてきます。本書の言い方を借りれば、思考に向く時間と向かない時間がある、ということです。
答えを急がない——「寝かせる」という発想
「見つめる鍋は煮えない」という外国のことわざを、本書は引きます。まだかまだかと注意を向けすぎるのではなく、しばらく放っておきなさい、という意味です。考え詰めすぎると、かえって問題のほうが入り込んでしまい、出るべきものも出てこなくなる。一晩置いてからふたを開ければいい。そして大きな問題であるほど、寝かせる時間は長く必要になります。
すぐ答えが出るような問題は、はじめから大した問題ではなかった、という見方もできます。逆に言えば、本当に大きな問いほど、長いあいだ心の中であたためておかないと形にならない、ということです。
補足として、ぼんやりしているときの脳が何もしていないわけではない、という説明もあります。デフォルトモードネットワークと呼ばれる神経活動が関わっているとされ、頭の中の情報が整理される働きがあると考えられています。ただしこれは脳について知られている一般的な知見として紹介されているもので、「ぼんやりすれば必ず良いアイデアが出る」という保証ではありません。
寝かせる時間をどう作るか
- 考え続けているテーマを、紙に一行だけ書いて机の上に置いておく
- 行き詰まったら、その日のうちに決着をつけようとしない
- 散歩や入浴など、手は動くが頭は暇な時間を予定に入れる
逆に、締切が今日中という場面では、寝かせる余裕はありません。そういうときは時間を置くより、途中まででも誰かに見せてしまうほうが現実的です。寝かせるという方法は、いつでも使える万能の手順ではないのです。
忘れることは失敗ではない
本書は、忘れることに対する見方も変えます。従来の教育では、頭の中に知識がたくさん詰まっていることが良いとされ、頭を倉庫のように見てきました。だとすれば、忘れることは在庫が消えることで、怖いことになります。
しかし、倉庫の役割の多くはコンピューターが担うようになり、人の頭には新しいものを生み出す工場としての役割が残ります。工場の作業効率を上げるには、倉庫の中を整理しておくこと。余計なものを入れすぎず、必要なものをいつでも取り出せるようにしておく。その整理を担っているのが、睡眠のなかで働く忘却の仕組みだ、というのが本書の説明です。
眠って目が覚めたら頭がすっきりしていた、という経験は多くの人にあるでしょう。ただし、忘れる量や記憶の残り方には個人差があり、睡眠時間を削ってまで作業するのは本末転倒です。
今日から試すなら
三つだけ挙げるなら、次のようになります。
- 考える時間と寝かせる時間を分ける。夕方に行き詰まったら、そこで結論を出そうとせず、翌朝に回す
- 自分が集中しやすい時間帯を、一週間ほど記録してみる
- ぼんやりする時間を、予定として確保する
どれも、合わなければやめて構いません。朝型に切り替えるのが難しい生活の人もいますし、考えを寝かせている余裕がない時期もあります。睡眠や生活リズムに強い不安がある場合は、無理に自己流で変えようとせず、医療機関や専門家に相談するという選択肢もあります。
考えがまとまらないとき、私たちは「もっと考える」方向に力を注ぎがちです。『思考の整理学』が差し出しているのは、それとは少し違う手の使い方です。基礎を身につける力と自分で飛ぶ力の両方を持つこと、思考に向く時間を知ること、そして答えを急がず寝かせること。全部を一度にやる必要はありません。まずは、行き詰まっているテーマを一つ、明日まで置いておくところから試してみてもいいかもしれません。