家電の時代に家族が加わっても、比べて選ぶ文化は残った
1960年代から1970年代にかけて、秋葉原は日本最大の家電街として知られるようになる。テレビ、冷蔵庫、洗濯機を求めて家族連れが集まり、カラーテレビやステレオ、クーラーなどの新製品が出るたびに賑わった。
この時代も、買い物の中心は「何軒も回って比べる」ことだった。隣の店より安いか、性能はどうか。商品が部品から家電に変わっても、自分の目で確かめて選ぶ楽しみ方は同じだった。秋葉原は最初から、対象を変えながら「選ぶ人」を受け入れ続けてきた街なのだ。
パソコン自作が再び「部品を選ぶ」感覚を呼び戻した
1980年代に入ると、家電量販店が全国に広がり、わざわざ秋葉原まで家電を買いに行く人は減っていく。しかし、その頃には新しい客が集まり始めていた。マイコン、そしてパソコンである。
1976年に秋葉原ラジオ会館に開設されたNECのショールームには、組み立てキットのマイコンが展示され、自分で命令を入力して機械を動かす体験に人々が熱狂した。1990年代にはDOS/V機の登場でパソコンの自作が広がり、CPUやメモリ、ハードディスクを一つずつ選んで組み立てる楽しみが秋葉原で大きくなった。ラジオ部品の時代と同じ「自分で選ぶ」感覚が、パソコンという形で戻ってきたのである。
ゲームと同人誌がつないだ「好き」の連鎖
パソコンを使う人が増えると、PC向けゲームも存在感を増した。特に美少女ゲームは秋葉原の店頭で大きな存在となり、ゲームのキャラクターを好きになった人たちがフィギュアや同人誌を求めるようになる。電気製品の広告が並んでいた通りに、アニメやゲームのキャラクターが目立ち始めた。
1994年に同人誌専門店の虎の穴が秋葉原に出店し、1998年にはラジオ会館にK-BOOKSや海洋堂が入った。ゲーマーズのマスコットであるデジキャラットが誕生し、カードゲームや模型の店も加わる。パソコンを買いに来た人がゲームを手に取り、ゲームのキャラクターを好きになった人がフィギュアや同人誌を探す。一つの街の中でいくつもの趣味がつながり、秋葉原はオタクの聖地と呼ばれるようになった。
メイド喫茶とメディアが「居場所」を加えた
2001年、日本初のメイド喫茶とされるキュアメイドカフェが秋葉原に開店した。これをきっかけにメイド喫茶が少しずつ増え、秋葉原には商品を買うだけではない「居場所」が生まれた。好きなものを好きと言っても笑われない場所で、職場では話せない趣味の話をできることが、この街の新たな引力になった。
2004年にはネット掲示板の恋愛話をまとめた『電車男』が本になり、映画やドラマ化された。秋葉原が特集される機会が増え、この街はさらに広く知られるようになる。それによって、かつての電気街やオタクの街とは違う、観光地としての側面も強まっていった。
昔の秋葉原を懐かしむ人が今できる小さなこと
昔の秋葉原を知る人にとって、今の大通りは別の街に見えるかもしれない。それでも、かつての「探す・比べる・組み立てる」体験を残す場所は、今も街のあちこちに点在している。たとえば、電子部品やジャンク品を扱う小さな店を訪ね、型番や作品名を伝えて在庫を尋ねてみる。同人誌や中古グッズの棚をじっくり見て、何軒か回って価格や品揃えを比べる。そうした歩き方は、昔の秋葉原と地続きの楽しみ方だ。
ただし、すべての店が昔のまま残っているわけではなく、閉店や移転も多い。無理に昔の姿を探すより、今の秋葉原で自分が「好きだ」と感じるものを一つ見つけるほうが、街との付き合い方は楽になる。駅から離れた裏通りや小さなビルの上の階には、大通りとは違う時間が流れていることもある。合わないと感じたら、無理に回らず、気になる店だけをゆっくり見るのも一つの手だ。
秋葉原は、ラジオ部品を求めた人、家電を比べた家族、パソコンを組んだ人、ゲームや同人誌に熱中した人、居場所を求めた人が層のように重なってできた街だ。今の景色が違って見えるのは、街が劣化したのではなく、自分が知っている層の上に新しい層が積み重なったからかもしれない。昔の秋葉原が消えたと感じる人にも、今の秋葉原に自分の「好き」を探す手がかりは残っている。