苦手な相手と顔を合わせるたび、「この人はこういう人だ」と決めつけ、身構えて疲れていませんか。イブン・アラビーの「一輪の花に神を見なさい」という言葉は、相手を聖人扱いする教えではありません。むしろ、相手を一つの固定的な像に閉じ込めるのをやめるための視点です。
たとえば、会議でいつも強い口調で否定から入る同僚がいるとします。これまでなら「あの人は攻撃的だ」とラベルを貼り、身構えるのが普通です。しかしこの考え方では、その強さも「強制するもの」という神の名の一つの現れとして、いったん切り離して眺めることができます。これは相手を肯定することでも、言いなりになることでもありません。ただ、相手を一つの物語に縛らず、自分の反応のスイッチを少し遅らせるための見方です。
相手を一つの名で呼ぶのをやめると、選べる対応が増える
イブン・アラビーの存在一性論では、世界のすべては神の鏡であり、存在するものは神の性質を映しているとされます。石の硬さは永遠性、水の流れは慈悲、空の広がりは無限。同じように、人の怒りや悲しみも、一つの名の現れとして見る余地があります。ただし、これは「怒りをそのまま受け入れなさい」という意味ではありません。現れとして見ることは、善悪の判断をいったん保留し、相手の全体像を小さく決めつけないための練習です。
相手を「攻撃的な人」と一つの名で呼ぶのをやめると、対応の選択肢が増えます。たとえば、次の三つを状況に応じて選べます。
- その場では相づちだけ打ち、自分の意見は後で文書やメールで伝える。
- 強さの背景にある不安や焦りを仮に想定して、事実を尋ねる質問を一つだけ返す。
- 安全が保てないと感じるなら、その場を離れて物理的な距離を取る。
どれが正解かは関係性と状況次第です。距離を置くことが常に正しいわけではなく、近づき方を変える選択もあります。