「中立」「弱さ」「正しさ」は、武器にもなる
どちらの味方でもないと中立を装う人も、厄介な存在になり得ます。意見を求められても「両方の言い分は理解できます」と答え、対立が起きても「私は関係ありません」と距離を置く。責任は避けながら、評価だけは落とさない。立場を曖昧にしているぶん、逃げ道はいくつもあります。
弱さを見せる人も同じです。指摘されると、泣いたり落ち込んだりする。すると、正しいことを言った側が悪者に見えてしまいます。ミスが繰り返されても、誰も注意できなくなる。本人が本気で傷ついているように見えるぶん、周囲も手が出せません。
「人としてどうなの」という言葉で封じてくる人もいます。正しさや倫理を持ち出されると、反論した瞬間に自分が非常識な側に見えてしまう。涙ではなく罪悪感で、相手の動きを止めてくるわけです。会話をすべて論理で固める人も、似た効果を持ちます。「なんとなく」が通じず、感情で話せば土俵を変えられてしまうのです。
共通しているのは、正面から戦えないこと
ここまでに挙げた人たちに共通するのは、正面からやり合おうとすると、こちらが分が悪くなるという点です。反撃すれば、冷静な相手に対して、自分だけが感情的で理不尽な人間に見える。声を荒げないこと自体が、防御になっているのです。
見えない盾を持っている場合もある
言動にぶれがない人も、敵に回すと手強い相手になります。誰に対しても態度が変わらないので、周囲からの信頼は厚い。そのぶん、こちらに矛盾や言い間違いがあると、「前と言っていることが違いますよね」の一言で崩されてしまいます。
派閥に属さず、浅く広くつながっている人もいます。孤立しているようでいて、実際には誰とでも緩やかにつながっている。だから対立が起きても、どちらからも攻撃されない。攻める的が見つからないのです。
表向きは普通の社員なのに、役職者とつながっている人もいます。普段は静かにしているけれど、いざとなれば上の立場から話が来る。本人が何もしていないように見えるまま、状況だけが動いていく。こうなると、正面からぶつかるのは現実的ではありません。
いちばん厄介なのは、警告してくれた人かもしれない
ここまでの特徴を並べたうえで、最後に置かれるのは少し皮肉な視点です。危険な人ほど、最初は優しい。そして「あの人には気をつけて」と助言してくる人の中に、情報を握り、中立を装い、弱さを見せ、論理で封じ、上の立場ともつながっている。そんな人が紛れていることがあります。
助言そのものが悪意とは限りません。ただ、人についての忠告は、その人が何を大事にしているかを映すことがあります。誰かの噂を教えてくれる人は、自分の情報も同じように扱う人かもしれません。
「あの人はサイコパス」で片づけない
ここで一度、立ち止まっておきたいことがあります。こうした特徴に当てはまるように見える人に、「サイコパス」「発達障害」といったラベルを貼るのは、印象だけで病名を推測することになり、適切ではありません。診断は専門家が行うもので、周囲の人がつけるものではないからです。レッテルは相手を理解する助けにはならず、むしろ恐怖を大きくし、必要以上に身構えさせてしまいます。
また、厄介に見える人が、単に疲れていたり、コミュニケーションの取り方が自分と違うだけだったりすることもあります。特徴がいくつか重なって見えても、それがその人のすべてではありません。個人差があることを前提にしておきましょう。
距離を取るために、できること
相手の性格を変えることはできません。変えられるのは、こちらの距離の取り方です。たとえば、次のようなことを試せます。
- 個人的な事情や弱みを、必要以上に話さない
- やり取りの日時・内容・同席者を、簡単にメモに残す
- 感情で反応せず、事実と依頼に絞って返す
- 二人だけで話さず、第三者を交える場面を増やす
- 関係は必要最低限にし、無理に仲良くしようとしない
- つらさが続くなら、産業医やハラスメント相談窓口、外部の相談先を使う
全部を実行する必要はありません。合わないと感じたら、別の方法を選んでかまいません。異動や転職を視野に入れることも、逃げではなく選択肢の一つです。
自分を責めなくていい。ただし、相手を怪物にしなくてもいい
過去の職場で傷ついた経験を、自分の弱さのせいだと結論づける必要はありません。ただし、それは「あなたが強かったから」ということでもありません。相手のふるまいが極端だった、環境が合わなかった、タイミングが悪かった。いくつかの要因が重なった結果にすぎないのです。
厄介な人を「モンスター」と呼んで片づけてしまうと、次にどうするかが見えなくなります。大切なのは、見抜くこと自体ではなく、見抜いたあとに距離をどう取るかを決めることです。誰に相談するか、どの場面で同席者を増やすか、どこまで関わるかを、一つずつ具体的に決めていきましょう。