迷ったときに考えが止まらなくなるのは、判断の基準を「どう見られるか」「損をしないか」といった外側に置いているからかもしれません。新渡戸稲造が『武士道』で示した義という徳目は、評価や損得より前に、自分が従う一本の線を決めておくという考え方でした。ただし、これは武士という立場を生きるための規範です。そのまま現代人の生き方に当てはめられるものではなく、受け取れる部分とそうでない部分を選びながら読む本だと思います。
「義」とは、正解を当てることではなく軸を決めておくこと
『武士道』は、侍が守るべき道徳規範を体系立てて説明した古典です。その最初に置かれるのが義であり、人としての正しい道、卑劣な行いをしないこと、そして自分がなすべきことを正しく判断する力を指します。義をはじめ、勇・仁・礼・誠・名誉・忠義という七つの徳目が並び、それぞれが人間関係や日々の振る舞いと結びつけて語られていきます。
仮の例として、目の前で力の強い人が弱い人を困らせている場面を考えてみます。見て見ぬふりをするのか、声をかけるのか、誰かを呼ぶのか。その場で答えを出すのは簡単ではありません。義という考え方が面白いのは、ここで「どれが正解か」を先に決めようとしない点です。まず自分はどういう人間でありたいかという基準を内側に持ち、それに照らして行動を選ぶ。順番が逆になっているわけです。
判断に迷い続けるとき、私たちはたいてい正解を探しています。けれど正解は状況によって変わります。変わらないのは、自分がどの基準で選ぶかという部分です。
知っているのに動けないとき——知行合一という見方
武士道が重んじたのは、知識よりも行動でした。中国の思想家・王陽明の知行合一という教えが背景にあります。知ることと行うことは別々にあるのではなく、行動と一致して初めて本当の知識と言える、という考え方です。
「論語読みの論語知らず」という言葉も紹介されていました。古典を知識として知っているだけで行動が伴わない人は、尊敬を得られず、軽蔑の対象にすらなったといいます。ここまで聞くと厳しすぎるように感じますが、裏返せば、行動できないことを人格の欠陥として責めるのではなく、知っていることと行っていることのずれとして捉える見方だとも言えます。
ただし、動けない理由が意志の弱さだけであるとは限りません。疲労や体調、置かれた環境、こころの状態など、別の要因が重なっていることも多くあります。この教えを自分を追い込む道具にしないでください。
試すとすれば、次のような小さな手順です。効果を保証するものではありませんが、考えを整理する助けにはなるかもしれません。
- 「わかっているのにできていないこと」を一つだけ書き出す
- それを今日十分ほどで終わる大きさに切り分ける
- できなかったときは、理由を体調・環境・気持ちの三つに分けて眺める
武士道の源流——ひとつの価値観は複数の思想からできている
武士道は侍たちが戦いの中から独自に編み出したものではなく、複数の東洋思想が源流にあると説明されています。運命を穏やかに受け入れ、危険の前でも平常心を保ち、生に執着しないという姿勢は仏教から。主君への忠誠、祖先への尊敬、親への敬愛は神道から。そして道徳的な判断の枠組みは、孔子や孟子の儒教から来ています。
孟子の民主的な理論は、当時の封建的な秩序を揺るがす危険思想として長く禁書とされていました。それでも侍たちはその書を人生の教科書として読み、議論の場では最高の権威として言葉を引いたといいます。禁じられても手放さなかったという事実のほうが、建前よりも雄弁です。
この構造は、自分の価値観を点検するときにも使えます。大切にしている考え方は、家庭から来たものか、学校か、友人か、読んだ本か。一つずつ辿っていくと、いつの間にか自分のものだと思い込んでいた基準の出どころが見えてきます。
この本が生まれた背景にある、ひとつの問い
執筆のきっかけとして紹介されていたのは、ベルギーの法学者との会話です。「日本の学校では宗教について学ぶ機会がないのですか」と問われ、そのとおりだと答えると、相手は驚いてこう尋ねたといいます。宗教を教えないのなら、どうやって若い人たちに道徳を教えているのか、と。新渡戸は即答できませんでした。
彼自身の人生も平坦ではありませんでした。盛岡に生まれ、札幌農学校で学び、キリスト教に出会い、内村鑑三らとの友情を育てる一方で、眼の病と心の不調に苦しみました。母の死に深く傷ついたとき、友人からの手紙に支えられ、恩師から譲り受けた歴史家カーライルの一冊を繰り返し読んだと伝えられています。
ここで気をつけたいのは、苦しみがあったから名著が生まれた、という因果で単純にまとめないことです。苦しみは苦しみであり、そこから何かが生まれたとしても、それが苦しみの価値を高める理由にはなりません。
すべてを受け入れる必要はない
武士道は武士階級のための規範です。身分の固定や忠義の絶対視、命を軽んじる側面など、現代の価値観と衝突する部分も含まれています。読むときは、自分に合う言葉だけを持ち帰れば十分です。合わないと感じたものを無理に尊ぶ必要はありません。
また、不安や落ち込みが長く続いているときは、こうした教えで自分を律しようとするより、専門的な支援を検討するほうが現実的です。考え方の枠組みは、心身の不調を抱えているときの代わりにはなりません。
判断の軸を、ひとつ言葉にしておく
迷ったときに立ち返れる基準を、短い言葉で書いておく。知っているのに動けていないことを一つ選び、今日できる大きさに切り分ける。そして、自分に合わないと感じたら手放す。『武士道』の価値は答えを与えてくれることではなく、自分の基準を問い直す材料になることにあるのだと思います。