同窓会やSNSで、昔いじめていた側だった人が経済的にうまくいっているのを見ると、「やっぱり図太い人間が勝つのか」と感じることがある。この感覚は、真面目に頑張ってきた人ほど強くなりやすい。
ただ、ここで選べる対応は「やっぱり悪い人が得をする」と納得して終わることだけではない。まずは、その見え方の仕組みを整理し、自分がどう距離を取るかを決める材料にできる。
「元いじめっ子が成功する」と思いたくなる心理
日本では、学業で優秀でも起業する割合が少なく、経済的成功者が学生時代の優等生から出るとは限らない。頑張ってきた人ほど、自分の経済的な不本意さを「ああいう人間が成功する世の中だから」と相対化したくなることがある。
これは自己防衛のための悲観主義ともいえる。本当は「自分が選ばなかった道」への後悔や、競争から降りたことへの複雑な気持ちがあるのに、それを「元いじめっ子はずるい」という形に置き換えると、少し楽になるからだ。
「図太さ」と成功の関係は、思ったより限定的
共感の低さや権力への執着が経営に向きやすいという説は一定の根拠がある。上級管理職にサイコパシー傾向が多いという指摘も、書籍などで紹介されてきた。ただし、これは「いじめたから成功する」という因果を示すものではない。
同じような特性を持っていても、成功していない人は多い。実際には、その道を選んだ人の中から、たまたま特性がかみ合った人が生き残ったにすぎない。20歳前後の時点で起業や事業に興味を持ったかどうか、挑戦を続けたかどうかの差が大きい。
つまり、元いじめっ子に見える成功者の多くは、「いじめたから」ではなく、別の要素——根性、思考力、人との近さ、挑戦する姿勢——を同時に持っていた可能性が高い。
いじめの傍観者だった自分と、今の加害性
ここで見落としがちなのが、いじめの場面で見て見ぬふりをした「グレーゾーン」にいた人の存在だ。大半の人は加害者でも被害者でもなく、傍観者としてその場にいた。そして今、普通の人生を歩んでいる。
一方で、ネット上では「昔いじめられた」と語る人たちが、特定の人物を連日追いかけ、攻撃するような現象も起きている。正論を装った激しい非難が、結果的に相手を追い詰める。これは被害者意識が別の加害性に変わるサイクルといえる。
「自分は繊細だから傷ついた」と言いながら、相手が傷つくかどうかを考えずに言葉を投げる。その矛盾に気づくことは、元いじめっ子を責める前に、自分の今の言動を点検するきっかけになる。
対人関係で選べる対応
過去にいじめる側だった人と今も接点がある場合、距離の取り方は一律ではない。相手との関係や安全面によって変わる。
- 仕事上どうしても関わる必要がある場合:相手の成功を「性格の問題」と決めつけず、業務に必要な部分だけを切り分ける。たとえば「この人の決断の速さは参考になるが、人への言い方は真似しない」と分けて考える。
- 過去のいじめを思い出して苦しくなる場合:その場を離れる、信頼できる人に話す、必要なら専門の支援につなぐ。我慢して接し続けることが正解ではない。
- SNSで攻撃的な投稿を見かけた場合:自分も同じ土俵に乗らない。仮の例として「あなたの言い方も相手を傷つけていませんか」と指摘したくなる場面でも、まずは自分の反応を止めて、拡散や返信をしない選択が安全なことが多い。
これらはあくまで選択肢の例で、相手との力関係や過去の経緯によっては、関わらないことが最も現実的な判断になる場合もある。
「悪い人が得をする」で終わらせないために
元いじめっ子が成功しているように見えるとき、その背景には「成功した人が目立つ」という見え方の偏りがある。実際には同じ特性を持ちながら成功しなかった人の方が多いし、成功にはいじめとは別の要素が必要になる。
だからといって、過去の傷をなかったことにしたり、加害者を許す必要はない。ただ、「自分は真面目だから損をした」という物語に留まると、今の自分の選択まで見えにくくなる。
今の人間関係で、自分が誰かを傷つける側に回っていないか。逆に、過去の出来事に縛られて、今選べる道を閉ざしていないか。その二つを分けて考えるだけでも、少し呼吸が楽になる。