日本の安全保障政策を支えてきた非核三原則「持たず、作らず、持ち込ませず」のうち、第三の原則である「持ち込ませず」の見直しを求める議論が、与野党の一部から改めて浮上している。日本維新の会は2023年、「持たず、作らず」は維持しつつ「持ち込ませず」について現実的な検討を行うよう政府に提言した。また、岸田文雄首相も過去に三原則の見直しに言及し、就任後もその方向性を示唆してきた。議論の核心には、アメリカの核戦力を日本の領域にどの程度受け入れるかという、日米同盟の根幹に関わる問題がある。
原則成立の経緯と沖縄返還の条件
非核三原則は1967年、佐藤栄作首相(当時)が国会答弁で表明した政府方針だ。背景には沖縄返還交渉があった。当時、沖縄はアメリカの統治下にあり、核兵器が配備されていた。そのまま返還されれば、核兵器を忌避する日本国内に核が存在することになる。三原則は、沖縄返還時に核が撤去され、それ以降も在日米軍基地に核が持ち込まれないことを保証する役割を果たした。
三原則自体は法律ではなく政府の方針であり、法的拘束力はない。ただし、最初の二つ「持たず、作らず」については、日本が批准しているNPT(核不拡散条約)で「核兵器その他の核爆発装置を製造せず、またはいかなる方法によっても取得しない」と明記されており、国際法上の義務となっている。問題は三つ目の「持ち込ませず」だ。これを明確に禁止する国内法は存在しない。日米間で定められた規定も、「日本は核兵器の持ち込みを拒否する方針」と述べるにとどまり、義務付けられているのは事前協議のみである。つまり、日米双方が合意すればアメリカの核兵器を日本に持ち込むことは制度上可能だ。
冷戦期の密約と実態:公式方針と運用の乖離
実は、三原則表明の直後に日米首脳間で核持ち込みを容認する密約が交わされていた。1969年、佐藤首相とニクソン大統領は「重大な緊急事態においては、事前協議を経て沖縄への核兵器再持ち込み及び通過権を必要とする」とする秘密合意文書を交換し、それぞれの執務室にのみ保管するとした。この文書の存在は長らく公式には認められてこなかったが、後の機密解除や関係者証言で明らかになっている。
元駐日アメリカ大使のライシャワーは1981年、「軍艦は以前から日本の港に入っています。そしてその中には核兵器を搭載しているものもあります。日本政府は核兵器を搭載した米軍艦が日本の領海を日常的に通過していることを知っています」と証言した。冷戦期、アメリカは日本を「不沈空母」と位置づけ、ソ連・中国・北朝鮮への迅速な核対応拠点として核兵器の前方配備を軍事的に合理的と判断していた。日米安全保障条約改定の際も、国会承認を待たず官僚レベルの協議で速やかに配備できるよう、条文に明記しない方針が取られていた。
冷戦後の空白と再燃する核脅威
冷戦終結後、アメリカは1991年に地上発射型と攻撃型潜水艦から全ての戦術核兵器を撤去すると表明し、一時的に日本への核持ち込み懸念は後退した。しかし2010年代に入ると、ロシア、中国、北朝鮮が核戦力を急速に増強し、安全保障環境は一変した。中国は2018年から2026年にかけて核弾頭数を約2.6倍に増やし、北朝鮮は核開発を加速、ロシアはウクライナ侵攻で核使用をちらつかせている。
これを受け、アメリカ議会の調査報告書では、核搭載巡航ミサイル(SLCM-N)を2032年9月までに限定的な配備を可能にするよう求める記述が現れた。このミサイルを搭載するのは攻撃型潜水艦であり、つまり現在議論されているのは「核ミサイルを積んだアメリカの潜水艦が日本の港に寄港することを許すかどうか」という具体的な問題に帰着する。
戦術核と戦略核:抑止の論理の変化
現在の議論の中心にあるのは「戦術核」の役割だ。戦略核は敵国の都市を壊滅させるなど、国家の戦争継続能力そのものを標的にする。一方、戦術核は特定の戦場や地域での軍事目標攻撃を想定し、威力は比較的小さい(ただし広島型原爆同等以上のものも含まれる)。冷戦期、アメリカはヨーロッパ戦線での戦術核使用を前提に核共有を進めてきたが、アジアでは日本の反核世論を考慮し、沖縄密約のような例外的運用にとどまっていた。
しかし現在、中国の核戦力増強と台湾有事シナリオを念頭に、アメリカは「限定的な核攻撃にどう対応するか」という問題に直面している。戦略核での報復は全面核戦争へのエスカレーションリスクが高すぎるため、同等の戦術核で対応する「限定核戦争」の選択肢を持つことが抑止力強化につながるとの議論がアメリカ側にある。日本が核搭載艦艇の寄港を認めれば、この選択肢を実質的に支えることになる。
法的枠組みと政治的決断のギャップ
日本政府は一貫して「事前協議制度の下で、核兵器の持ち込みはない」と説明してきた。しかし、事前協議で合意すれば持ち込み可能という制度設計自体は変わっていない。非核三原則は国会決議で確認されてきたが、法的拘束力を持たない政府方針のままである。一方、日米同盟の深化に伴い、延伸抑制(核の傘)の信頼性をどう担保するかという実務的要請は高まっている。
与党内でも意見は割れている。自民党の一部には「核共有」や「持ち込ませず」の例外容認を唱える声がある一方、公明党は三原則堅持を党是としている。野党の立憲民主党も三原則維持を掲げる。日本維新の会のように「現実的検討」を求める声は、安全保障環境の変化に対応しようとするものだが、世論の多数派が依然として非核原則を支持している中で、政治的決断には慎重さが求められる。
文化的記憶と安全保障の狭間で
日本が世界唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を訴えてきた道徳的権威は、非核三原則によって具体化されてきた。広島・長崎の記憶は、単なる歴史的事実ではなく、日本の戦後アイデンティティの核心をなす文化的基盤だ。この原則を変更することは、国内的な合意形成を超えて、国際社会における日本の非核国家としての立ち位置を変えることを意味する。
同時に、アメリカの核の傘に依存しながら「持ち込ませず」を掲げ続けるという、理想と現実の矛盾を内包してきたのも事実だ。ライシャワー元大使の証言が示す通り、冷戦期には実質的に核搭載艦艇の寄港が日常的に行われていた可能性が高い。この「建前と実態の乖離」をどう整理するかが、今回の議論の本質的な問いかけだ。
残される問い:透明性と民主的決定
アメリカのSLCM-N配備計画が実現に向かう中、日本政府はいつ、どのような手続きで「事前協議」に応じるのか。密約のような非公開の合意ではなく、国会での議論と国民への説明を経て判断されるべきだという要請は強い。核抑止の論理と非核の理念、日米同盟の運用と主権国家の決定権。これらが交錯する中で、日本は「持ち込ませず」という言葉の重みを、再び問い直す局面に立たされている。