有能な人から辞めていく——。そんな職場の不思議は、人の心だけでは説明できません。早期の希望退職を募ったのに、残ってほしい人ほど手を上げ、辞めてほしい人は残る。理由の一つは、制度そのものが「外でやっていける人」を選びやすい形になっているからです。ただし、これはすべての会社や人に当てはまる話ではありません。
希望退職は「辞めてほしい人」を選べない
希望退職は、会社が退職者を募り、応募した人に割増の退職金を支払う制度です。会社が一方的に解雇するのではなく、本人の意思で辞める形をとります。日本では一般的に、合理的な理由のない解雇は無効になり得るため、人件費を減らすときにも、まず希望退職のような方法が検討されます。ここまでは制度の一般的な説明です。
ただ、会社が「この人に辞めてほしい」と考えても、本人が応募しなければ退職にはなりません。面談で促しても、本人が拒否した後にしつこく続けると、違法と評価される可能性があります。制度の運用には法的な留意点があり、個別のケースは専門家の確認が必要です。
すると、応募するのは誰か。外に転職先があり、割増退職金を加えても生活が成り立つ人です。反対に、外で同じ条件の仕事を見つけにくい人は、残る合理性が大きい。結果として、会社が引き止めたい人ほど辞め、残ってほしいと思っていなかった人が残るという逆転が起こりやすくなります。
給料と仕事量のズレが、退職の計算を変える
背景には、給料と仕事量のズレがあります。日本の会社の多くは、年齢や勤続年数で給料が上がりやすい仕組みです。もちろん、長年の経験や社内の信頼には値段をつけにくい価値があります。ただ、仕事が特定の人に集中しているのに、給料は年功で決まる場合、できる人の手元には「このままでいいのか」という計算が残ります。
仮に、勤続35年で給料の高い社員が、会議で長く話し、実務は若手に回しているとします。若手は自分の仕事に加えて、その人の分まで調整している。そこへ月給の24か月分の割増退職金と、年収が上がる転職先の話が重なれば、辞める側の判断は不思議ではありません。逆に、外で条件が下がる人にとっては、残る方が得です。
年齢による違いもあります。厚生労働省の調査として紹介される数字では、2024年に転職した人の中で、前の会社より給料が上がった人は40.5%、下がった人は29.4%でした。55〜59歳では、下がった人が36.6%、上がった人が27.4%と逆転します。若い人と中高年では、転職のしやすさが同じではないということです。
「引き止め」と「見送り」は違う
退職の意思を翻させるには、面談の中身が問われます。本人が何を不満に感じ、どの仕事を重荷にし、給料や役割をどう変えれば残るのか。そこを聞かず、制度の説明と書類へのサインだけで終わるなら、それは引き止めではなく見送りです。
「辞めないでほしい」と言うだけでは足りません。仕事の偏りを直す、評価や給与の扱いを説明する、転職を考えた理由に向き合う。こうした具体的な変化が必要です。ただし、面談一つで必ず引き止められるわけではなく、会社側に変える意思と余地がなければ、言葉だけになります。
会社の「優しさ」が、残る人だけに向くとき
日本企業は人を簡単に切らないから優しい、と言われることがあります。実際、雇用が守られることは重要です。しかし、その優しさが「残る人」にだけ向いているなら、できる人はその分を背負い続けます。仕事を押しつけられ、評価は年功で決まり、辞めたいと言えば引き止められる。それでも残ることを選ぶ人もいますが、負担が偏ったままなら、いつか限界が来ます。
希望退職は、会社が人を大切にしていないと感じさせる出来事の一つにすぎません。日常の中で、仕事の配分、評価の説明、相談のしやすさが積み重なった結果として、退職の判断が現れます。辞める人が「裏切った」のではなく、会社との条件が合わなくなった、と見る方が実態に近いでしょう。
それでも、辞めない人もいる
有能な人が必ず辞めるわけではありません。家族の事情、住む場所、健康、職場の人間関係、裁量の大きさなど、外の年収だけでは測れない理由で残る人はいます。反対に、外で高く評価される人でも、今の仕事にやりがいを感じて残る場合があります。早期退職を前向きな人生の区切りとして選ぶ人もいて、辞めること自体が失敗なわけではありません。
会社と個人ができること
会社側にできるのは、辞める話が出る前から動くことです。たとえば、定期的に「今の仕事で続けたいか」「何が負担か」を聞く場を作る。仕事の偏りを見える化し、特定の人にしか分からない業務を共有する。評価や給与の決まりを、納得できる言葉で説明する。希望退職を出す場合も、誰を減らすための制度かに見えないよう、基準と支援を明確にする。これらは効果を保証するものではありませんが、退職の計算が始まる前にできることです。
個人側では、自分の外での価値を一度確かめておくと、判断の材料になります。求人情報を見る、資格や経験がどう評価されるか聞く、今の不満を具体的な条件に分ける。そのうえで、仕事量や給与について、感情だけでなく事実を添えて相談する。環境が変わらないなら、離れる選択肢を持つこともできます。
ここで整理したのは、制度と行動の関係についての一つの見方です。会社の規模や雇用形態によって、当てはまり方は変わります。
まとめ
有能な人から辞めていくのは、能力があるからではなく、辞めるか残るかを計算したときに、外に出る方が合理的になりやすいからです。会社が人を大切にしているかは、理念よりも、仕事の配分、給与の説明、引き止めの面談の中身に表れます。「辞めたい人が得をする制度」になっていないか。残りたい人が、無理を抱え込まずに残れる職場か。そこを見直すことが、人材流出を考える出発点になります。