恋をしている脳で静まる場所
恋をしている人の脳を撮った記録がある。2000年、イギリスの大学で深く恋をしている17人の脳が撮られた。見せるのは恋人の写真と、同じくらい親しい友人の写真。恋人の写真のときだけ、脳の奥の報酬系と呼ばれる場所が働いた。2005年、アメリカでは恋をして1か月から17か月の10人の女性と7人の男性が調べられ、中脳の腹側被蓋野という、ドーパミンの神経が集まる場所が働いていた。北京の18人でも同じ場所が働いた。文化が違っても、恋の脳は同じ場所で動いていた。研究者は、恋は喜びや悲しみのような感情というより、空腹や乾きに近い欲求の仕組みを使っていると考える。そして、恋をした脳には静まる場所もあった。不安や警戒を作る扁桃体、相手の意図を読み批判する回路。恋人の写真を見ている間、それらは静かになっていた。「あばたもえくぼ」という言葉があるが、脳の記録はそれがただの気のせいではないことを示していた。17人、17人、18人。小さな記録だが、三つの国で同じ場所が働いた。これは有力な手がかりではあるが、証明ではない。
頭から離れないのは、意思の弱さではない
1999年、イタリアの研究者たちは血液を調べた。恋をして6か月以内の20人、強迫症の患者20人、どちらでもない20人。強迫症は、鍵を閉めたか、手が汚れていないかなど、同じ考えが何度も頭に戻ってくる病気だ。調べたのは血液中のセロトニンを運ぶ仕組みの量。恋をしたばかりの人は、強迫症の人と同じくらいそれが減っていた。どちらでもない人よりはっきり低かった。恋をした人と強迫症の人は、血液の上では区別がつかなかった。あの人のことが頭から離れないのは、意思が弱いからではない。体がその状態を作っている可能性がある。孤独が体の警報だったように、恋もまた体の仕組みだ。
恋は二人をつなぎ止める装置なのか
では、この仕組みは何のためにあるのか。子どもを残すためなら性欲だけで足りるはずだ。なぜたった一人に絞ってしまう恋がいるのか。手がかりは小さなネズミにあった。プレーリーハタネズミは、一度つがいになると生涯同じ相手と暮らす珍しいネズミだ。近い仲間のハタネズミにはその習性がない。違いは脳にある二つの物質の受け皿の量だった。オキシトシンとバソプレシン。交尾のとき、この二つの物質と報酬のドーパミンが同時に働く。すると、この相手が報酬と結びついて記憶される。研究者はそれが恋の正体だと考えている。人でもバソプレシンの受け皿の遺伝子の型が、男性の絆の強さと結びついていたという報告が一つある。人の赤ん坊は生まれてから何年も一人では生きられない。ある説では、恋は二人をつなぎ止めるための約束の装置だ。理屈ではなく、体が先に相手のそばにいさせる。長い子育てを二人で乗り切るために。この説を支える記録が一つある。世界の166の文化を調べると、恋の記録が見つからなかったのは15だけ。しかもその多くは記録そのものが足りなかっただけだった。恋は映画や小説が作った近代の発明ではない。文字を持たない社会にも恋の歌や物語が残されていた。ネズミの記録は有力だが、人の約束の装置はあくまで説であり、文化の記録は説を支えているが証明ではない。
熱が覚めた後に残るもの
恋が二人をつなぎ止める装置だとすれば、その装置はいつまで動き続けるのか。1989年、人類学者が国連の離婚統計を調べた。58の社会、30年余りの記録。離婚は結婚から4年目の前後に山を作っていた。離婚の多い社会でも少ない社会でも、山の場所は同じだった。研究者は、恋の仕組みは子どもが乳離れするまでのおよそ4年間を持たせるようにできているのではないかと考えた。別の研究者は、恋の熱の続く長さを18か月から3年と見積もっている。4年の理由も3年の見積もりも、はっきりした証拠には至っていない。ただ、恋の熱がいつまでも同じ強さでは続かないことは、多くの人が知っているかもしれない。
では、長く続く夫婦の脳はどうなっているのか。2012年、結婚して平均21年の10人の女性と7人の男性が調べられた。今も相手に強い恋をしていると答えた人たちだ。相手の写真を見ると、恋の初期と同じ報酬系が働いていた。同時に、恋の初期には見られなかった親子の絆に関わる場所も働いていた。恋と愛着。研究者はこの二つを別の仕組みと考える。恋は相手を選び引き寄せる短い炎。愛着はその後を支える長い日々。恋の熱が覚めることは失敗なのだろうか。装置が次の段階に進んだだけなのかもしれない。
橋を渡り終えたあとの音
最後に日本の記録を一つ。2021年の全国調査では、18歳から34歳の未婚の人のうち、恋人がいると答えたのは男性で21%、女性で28%だった。交際相手がいない人は男性で72%、女性で64%。そのうち3人に1人は、特に交際を望んでいないと答えている。恋の装置は、全員の中でいつも同じ強さで鳴っているわけではない。恋をしていない時間は、欠けている時間ではない。
最初の吊り橋に戻る。揺れる板の上で鳴った胸の音。体は先になっていた。恋と名付けたのは後からだ。橋のせいか恋のせいか。その答えは記録のどこにも書かれていない。今、あなたの胸の音は何のせいだろうか。橋のせいなら、渡り終えれば止まる。止まらないなら、それはあなたの体が選んだ一人の人かもしれない。恋は体が先に鳴らす古い音。そしてその音を、一人の人の名前で呼ぶのは私たちだ。