能力は足すより、つなぐと価値が変わる
人の話を丁寧に聞ける人がいる。しかし、聞いた内容を文章にまとめるのは苦手かもしれない。別の人は文章がうまいが、相手から具体的な経験を引き出すのが苦手かもしれない。一人が両方をできるようになれば、取材から記事の完成まで担当できる。さらに、書くことを知っていると、話を聞いている途中で足りない情報に気づくことがある。相手が「仕事のやり方を変えました」と話したとき、記事にするなら変える前と後で実際に何をしたかが必要になる。そこで以前の手順と新しい手順を尋ね、変えた結果、誰の負担が減ったのかも聞く。書く力があることで、聞き方まで変わる。
これは二つの能力を別々に持ち歩いている状態とは違う。一方の能力がもう一方の使い方を改善している。経済学の分野でも、スキル単体より、他のスキルと組み合わせやすい能力のほうが報酬に結びつきやすいという分析がある。ただし、これはすべての仕事に当てはまるわけではない。一つの専門を深く掘ることが重要な仕事もある。ある技術では二番手でも、別の分野の知識と組み合わせることで、一つの技術では一番手の人より選ばれる場合があるという話だ。
たとえば、簡単な図を作れるようになれば、複雑な作業の説明を聞くときにも変化が出る。作業の順番を図にしようとすると、何を誰から誰へ渡しているのか、どの条件で手順が分かれるのかが気になる。そこで確認するから、説明の抜けも見つかる。図を描く技術だけを見れば専門のデザイナーほどではない。それでも、取材する力と組み合わせることで集まる情報の中身が変わる。
組み合わせが力になるには、それぞれの能力が仕事に必要な水準に達しており、一緒に使う場面があることが前提になる。その条件が揃うと、小さな能力の追加が仕事全体を変える場合がある。
完成品の裏にある「見えない仕事」を数える
取材が得意な人、文章が得意な人、図を作るのが得意な人にそれぞれ頼めばいいのではないか。もちろん、それでうまくいく仕事はある。専門家が分担したほうが早く質の高いものを作れる場合もある。ただ、分けて頼んだ時点で、まだ誰も担当していない仕事が残ることがある。
先ほどの新人向け説明書を例にすると、現場の人に手順を書き出してもらい、文章が得意な人に整えてもらい、見やすい図も作ってもらう。それでも完成前に読み返すと、説明が合っていない場所が見つかることがある。文章では先に上司へ確認すると書いてあるのに、図では作業が終わってから報告する流れになっている。どちらが正しいか確認すると、金額によって手順が変わることがわかる。しかし、その条件が最初の聞き取りに含まれていなかった。図だけを直すのか、文章に条件を書き足すのか、初心者向けの説明を二つに分けるのか。こうした判断は、文章担当も図担当もそれぞれ自分の作業だけを見ていては決めにくい。
全体を見て食い違いを見つけ、必要な情報を集め直し、使える形に揃える人が必要になる。依頼する側から見ると、違いは文章や図の美しさだけではない。自分が途中で何度も説明し直さなくていい、担当者同士の食い違いを自分で解消しなくていい。相手が本当に頼みたかった仕事をどこまで引き受けているかが違う。本人は「聞いて書いて少し直しただけ」と感じるかもしれない。しかし、その少し直したの中に、依頼した人が困っていた調整が含まれていることがある。
完成品を見れば、一つずつの作業は簡単そうに見える。書いてあることは理解できるし、文章も難しくない。それなら自分にも作れそうだと感じる。しかし、最初に渡されたのが現場の人たちによる断片的な説明だけだったらどうか。どの発言を確かめるのか、食い違った説明を誰に確認するのか、実際の手順をどう分類すれば初心者が迷わないのか。出来上がった後には見えない仕事がその前にある。完成したものを再現できることと、整理されていない材料から同じものを作れることは分けて考える必要がある。
何を削るかで、その人らしさが出る
同じ研究資料から同じ長さの解説を作る二人がいたとする。一人は結論と根拠を整理し、短い時間で全体を把握できるようにまとめる。もう一人はその結論が日常のどんな場面に当てはまるかを考え、身近な例から説明する。資料も技術も似ていても、完成するものは違う。違いを作っているのは、何を重要だと判断するかだ。
時間には限りがある。具体例を増やせば、その分だけ研究の説明に使える時間は減る。研究を詳しく紹介すれば、一つ一つを噛み砕く時間が減る。全部を最大にすることはできない。だから、何を残し、何を削るかという判断によって、同じ資料からでも違うものが出来上がる。このように、一方を優先すると別の何かを減らしたり諦めたりする関係をトレードオフと呼ぶ。戦略論でも、何をしないかを選ぶことが重視される。ある相手に合う活動の組み合わせが、別の相手にも同じように合うとは限らないからだ。
初心者が理解することを優先するなら、前提の説明を入れる。使う言葉を揃える。一度に紹介する考え方を絞る。それらの判断が揃って、初めて聞く人がついていける説明になる。独自性は、飛び抜けた技術だけではなく、この「何を残し、何を諦めるか」の判断にも現れる。
今日からできる小さな試し方
ここまでの話を、自分の仕事に落とすための小さな工夫を三つ挙げる。
- 隣の作業を一つだけ知る。文章を書く人なら、その文章が使われる現場の手順を一つ聞いてみる。図を作る人なら、その図を誰がどう使うかを確認する。専門レベルを目指す必要はなく、相手の困りごとが一つ見えれば十分だ。
- 組み合わせの条件を確認する。今の仕事に必要な水準に達しているか、その能力を一緒に使う場面があるかを確かめる。条件が合わないなら、無理に幅を広げるより一つの技術を磨くほうが向いている場合もある。
- 「少し直しただけ」を振り返る。自分が軽く済ませたと思った作業の中に、依頼者の調整や確認が含まれていなかったかを書き出してみる。それが、相手から見た「あなたに任せたい理由」になっていることがある。
深い専門性が求められる仕事や、分業がうまく機能している環境では、つなぎ役を無理に作る必要はない。仕事の性質と自分の負担を見ながら、できる範囲で試すといい。
平凡に見える能力でも、状況や組み合わせ、使い方によって選ばれる理由になる。まずは、自分の持っている能力を一つずつ比べて落ち込むのをやめ、隣の作業とのつなぎ目に目を向けるところから始めたい。