ムハンマドが伝えたことと聖典
イスラム教の伝承では、ムハンマドは570年頃にアラビア半島のメッカに生まれ、40歳頃に洞窟で祈っていた際、天使ジブリールを通して神の言葉を受け取ったとされます。当時のメッカは商業で栄える一方、貧しい人や後ろ盾のない人が十分に守られにくい社会だったと伝えられます。ムハンマドは、礼拝する神は一人であること、財産や家柄だけで人間の価値は決まらないこと、商売では人を騙さず約束を守ることなどを説きました。既存の宗教や経済の仕組みを支える人々から反発を受け、622年にメディナへ移住します。この移住はヒジュラと呼ばれ、共同体を築く転換点になりました。
神の言葉とされる聖典がクルアーンです。クルアーンには神がどのような存在か、人間はどう生きるべきか、祈りや家族、商売、困っている人への配慮、死後の審判などが記されています。ただし、祈りの具体的な姿勢や順番などはクルアーンだけでは細かく決まっていません。預言者ムハンマドが何を語り、どう行動したかを伝える記録がハディースで、ムスリムはクルアーンとハディースを照らし合わせながら日々の行動を考えてきました。ハディースには多くの伝承があり、どの伝承を重視するかや教えを生活にどう当てはめるかについては、イスラム教の中でも考え方の幅があります。
日々の実践が整えるもの:五行
イスラム教の信仰生活の基本とされるのが、五行(五つの柱)です。信仰を気持ちだけに任せず、繰り返す行動の中に置くための実践です。
- 信仰告白:アッラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒であると確認する。
- 礼拝:一日に五回、メッカの方角を向いて祈る。立つ、頭を下げる、膝まずくといった体の動きも伴う。
- ザカート:一定の条件を満たす財産を持つ人が、その一部を貧しい人などのために差し出す。
- 断食:ラマダーン月に、健康な成人は夜明けから日没まで飲食を控える。
- 巡礼:健康や費用の条件が整う人は、生涯に一度メッカへの巡礼を行う。
礼拝は、どれほど忙しい日でも作業を一旦止め、自分より大きな存在を思い出す時間です。断食は空腹そのものが目的ではなく、食べたいと思ったときにすぐ行動へ移さず、自分で行動を選ぶ練習でもあります。普段当たり前に受け取っている食べ物や水への感謝、食べるものに困る人の生活へ思いを向ける時間ともされます。ザカートは、気が向いたときの寄付ではなく、継続する責任として信仰の中に組み込まれています。
間違いから向き直る道
イスラム教では、人間は自分で行動を選び、その結果に責任を持つ存在だと考えます。何を信じ、何を選び、誰を傷つけ、誰を助けたのか。その責任を他の誰かに移すことはできません。同時に、人間は正しいと知っていても間違える存在でもあります。欲望に流され、人を傷つけることもある。
クルアーンでは、最初の人間アダムとその妻が神から近づかないよう言われていた木の実を食べてしまった後、言い訳をせずに自分たちの過ちを認めて神に許しを求めたと語られます。この向き直りをタウバと呼びます。間違った行動をやめ、神に許しを求める。誰かを傷つけたなら、できる範囲で謝罪し、関係を修復することも含まれるとされます。人間は間違えながらも、何度でも生き方を正すことができるという考え方です。
暮らしのなかで知っておきたいこと
ラマダーン中の同僚や友人がいる場合、断食は夜明けから日没まで続きますが、病気や妊娠、旅行などの事情がある人には免除や別の日に行う方法が用意されています。そのため、断食をしているかどうかを外見だけで決めつけず、本人の事情を尊重することが大切です。また、イスラム教の解釈や実践には地域や宗派による幅があります。一つの情報だけで「すべてのムスリムがこうだ」と決めつけないことも、日常の接し方では役に立ちます。
イスラム教の基本を知ると、信仰が心の中だけのものではなく、時間や体、財産、人との関係の中に置かれていることが見えてきます。異なる文化や宗教の習慣を理解することは、忙しい日々の中で自分の当たり前を少しだけ立ち止まって見る余白にもなるかもしれません。