人と比べて落ち込むとき、私たちは何を比べているのか マーク・トウェイン『人間とは何か』の問い
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人と比べて落ち込むとき、私たちは何を比べているのか マーク・トウェイン『人間とは何か』の問い

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人と比べて落ち込んだとき、私たちはたいてい「自分」と「相手」を比べていると思っています。けれど実際に並べているのは、二人がそれぞれ手にしてきた条件なのかもしれません。マーク・トウェインが晩年に書いた対話篇『人間とは何か』は、そのことを極端な形で突きつける作品です。ただし、そこで語られる「人間は機械である」という主張は、実証された科学的事実ではなく、発表当時も激しい反発を招いた一つの見方です。ここでは、その主張のどこが比較のつらさに触れるのか、どこに無理があるのかを分けて見ていきます。

晩年のトウェインが置いた「人間は機械である」という問い

マーク・トウェインは『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』で知られる作家です。晩年には家族を立て続けに失ったとされ、この対話篇は亡くなる数年前に発表されました。当時は匿名で世に出され、その内容が受け入れられず批判を浴びたと伝えられています。作品の背景と過激な主張を結びつける憶測も、当時から飛び交っていたといいます。

作品は、人間を機械だと主張する老人と、それに反発する青年の対話で進みます。老人の言い分はこうです。人間は生まれ持った気質や住んでいる場所、社会のあり方といった外部の力に影響され、管理され、命令されているだけの存在である。自分で考えたと思っている意見も、これまで読んだ本、交わした会話、祖先から受け継いだ思考や感情を組み合わせたものにすぎない、というものです。

「借り物の組み合わせ」という見方が示すもの

青年は、ではシェイクスピアのような偉大な作家はどうなのか、と反論します。これに対して老人は、シェイクスピアは物事を正確に観察し、それを作品として描き出したが、それは想像ではなく模造であり、彼もまた精密な機械にすぎない、と答えます。そして、生まれた時代や国、受けた教育といった条件に恵まれていなければ、同じ作品は生まれなかっただろうと結論づけます。

この結論は、才能や努力を否定する話として読むこともできます。ただ、別の読み方もできます。誰かと自分を比べているとき、私たちは「その人自身」と「自分自身」を並べているつもりで、実際には時代や家庭、教育、出会った本や人の量を並べている面がある、という読み方です。だとすれば、比較から引き出した「自分は劣っている」という結論は、根拠としてはかなり心もとないものになります。

ただし、これは作品の主張を記事の側で解釈したものであり、確認された事実ではありません。作中で老人は「独断ではなく事実だ」と言い切りますが、それはあくまで登場人物の発言です。人間の思考がすべて外部から与えられたものだという見方には、言い過ぎだという立場も当然あります。

良い行いまで「自分の満足のため」と言い切ることについて

作品はさらに踏み込みます。たとえば、目の前に何日も食事をとっていない子どもが助けを求めて現れたとします。助けるか、無視するか。助けたとして、老人はそれを「自分の精神を満足させたい衝動」の結果だと解釈します。助けないより助けたほうが気分がいい、後悔して胸を痛めたくない。だからあなたは自分のお金で自分の精神的な満足を買っただけだ、という理屈です。

似た例として、アメリカ建国期の政治家アレクサンダー・ハミルトンが決闘を引き受けた話も挙げられます。宗教的な教えや家族の反対を押し切ってまで決闘に応じた選択も、突き詰めれば一つの衝動に従った動きにすぎない、と老人は見ます。

この還元の仕方は、人によっては冷たく感じられるでしょう。善意をすべて自己満足に置き換えると、助けられた側に起きた現実や、複数の動機が同時に働いている複雑さが抜け落ちます。ここは、作品の主張にそのまま同意するかどうかというより、一つの極端な見方として受け取るほうが無理がありません。

それでも使えるところがあるとすれば

嫉妬や自己嫌悪がわいたとき、私たちは「なんて心が狭いんだ」と自分の人格全体を裁いてしまいがちです。この作品の言い方に倣うなら、そのとき起きているのは「自分の心を満足させたい、傷つきたくない」という動きです。人格の評価ではなく、その場で働いている動きとして眺めると、少し距離が取れます。ここは作品の主張を日常に応用した提案であり、効果を保証するものではありません。

試してみるなら

  • 比べて落ち込んだ相手について、その人が手にしていた条件を三つ書き出す。たとえば、同じ本を読める環境、勧めてくれる人、使える時間などです。
  • 嫉妬を感じた場面で、そのとき自分が守りたかったものを一言で書く。「認められたかった」「失敗したくなかった」など、短い言葉で構いません。
  • 「自分で生み出したもの」を探すのをやめて、「どこから借りてきたか」を辿ってみる。読んだ本、聞いた話、影響を受けた人。そのうえで、次に何を借りに行くかを選びます。

「機械」という言い方がかえって苦しいと感じる人もいます。自分の意思や努力を軽く扱われたように響くなら、この見方は手放してかまいません。合うかどうかは人によります。

この考え方で抱え込まなくていいこと

不安や気分の落ち込みが長く続く、眠れない、日常生活に支障が出ているという場合は、考え方の工夫で何とかする領域を超えています。この記事の内容で抱え込まず、医療機関や相談機関を頼ってください。

比べて落ち込んだとき、問いを「自分と相手、どちらが上か」から「それぞれが何を借りて組み立てられたか」に置き換えると、裁くための材料は減ります。トウェインの答えは極端です。ただ、その極端さによって、比較という行為がそもそも何を並べていたのかを問い直すきっかけにはなります。

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