「正しく呼吸をしていないからだ」という指摘
行き詰まったヘリゲルに、師はこう伝えたとされます。弓を正しく引けないのは正しく呼吸をしていないからだ、息をゆっくり押し下げ、腹壁が適度に張るようにして、そこで息をしっかり保ちなさい、と。力ずくで息を押し込めるのではなく、必要な分だけ吸って吐く。師は強い弓を引いたままヘリゲルに自分の腕を触らせ、そこには確かに力が入っていなかったといいます。
ヘリゲルは教わった呼吸を念頭に練習を重ねますが、いざ弓を引こうとすると足の筋肉がこわばってしまう。すると師は、そうしようと努力していると考えていること自体が問題なのだ、と指摘したとされます。
ここは本書の記述を、記事としてこう読むこともできる、という解釈になります。呼吸に意識を向けるという指示は、注意の向け先を「結果」から「今行っている手順」へ移す工夫として読めます。ただし本書では、それすら簡単にはいかなかったと率直に記されています。
なぜ師は、最初から呼吸法を教えなかったのか
ヘリゲルは、なぜ師は自分が遠回りするのを黙って見ていたのか、と同僚に尋ねます。それに対して、優れた師は同時に優れた教師でなければならない、もし最初から呼吸法を教えていたら、あなたは自分の決定的な進歩を呼吸法のおかげだとは思わなかっただろう、自ら試行錯誤して試練を乗り越える必要があったのだ、という趣旨の答えが返されたと記されています。
早く結果が欲しいとき、人は小手先の技術に頼りたくなります。試行錯誤は自分との対話であり、内面の変化に関わる、というのがこの場面の読みどころです。ただし、これは武道の修行の場面での話です。すべての学びで「教えずに待つ」方法が良いという意味ではありません。手順を丁寧に説明してもらうほうが力を発揮できる人もいます。
「離れ」——意識して作れない動作
弓道の基本動作である八節のうち、七番目にあたるのが「離れ」です。矢を放つ瞬間の動作を指します。師は、離れは意識的な行為ではなく、無心の状態で自然に生じる現象だと説いたとされます。論理的に理解しようとしてきたヘリゲルには、この暗示的な説明が混乱のもとになりました。
ここでいう無心は、頭を空にする特殊な技術というより、注意が結果の予測で埋まっていない状態、程度に捉えると日常にも持ち込みやすくなります。ただし本書の舞台はあくまで弓道の稽古であり、日常の悩みにそのまま当てはまる保証はありません。
日常に置き換えるなら
本書の範囲を踏まえたうえで、試せそうなことを挙げます。いずれも提案であり、効果を保証するものではありません。
- 結果ではなく手順に注意を戻す。呼吸を数える、指先や足裏の感覚を見るなど、今行っている動作に意識を向ける。
- 評価を後回しにする。うまくいったかどうかの判定を、その場では保留しておく。
- 力みに気づいたら、直そうとせず、まず気づいたことを書き留める。
一方で、この考え方が合いにくい場面もあります。締切や安全が関わる作業では、手放すことより手順の確認が優先です。また、強い不安や不眠、体の不調が続いている場合は、自己流の訓練で抱え込まず、医療機関や相談機関を頼ってよい領域です。本書の内容は診断や治療の代わりにはなりません。
手放すことは、諦めることではない
ヘリゲルは、心に浮かんでくるものを気にしないことを学び、さらにその学びすらどうでもよくなった、という段階に至ったと記しています。数年単位の稽古の末の変化であり、気持ちの持ちようだけで片づく話ではありません。
力を抜くとは、投げやりになることではなく、入れ続けるのをやめるという地味な作業です。今日は、自分の呼吸をひとつ数えるところから始めてみる。それだけでも、考えすぎのループから半歩だけ離れられることがあります。