なぜ「やったほうがいい」は現場で止まるのか
多くの会社は、何をすべきかを意外と知っています。責任の曖昧さも、過剰な承認フローも、なんとなく問題だと気づいています。それでも変わらないのは、知識を行動へ変える段階で失敗するからです。経営学では、この状態を「ノウイング・ギャップ」と呼びます。計画や分析、会議、プレゼンが、本来は行動を生むためのものなのに、いつの間にか行動の代わりになってしまう危険も指摘されています。
「やったほうがいい」が現場で動かないのは、まだ「フロー」になっていないからです。誰がやるのか、いつやるのか、誰が承認するのか。そこまで決まって初めて組織は動きます。つまり問題は知識不足ではなく、知識を責任と権限と手順に変換できないことにあります。
ルールはなぜ増え、そして現実からずれるのか
人間はすべての選択肢を知ることも、結果を完全に計算することもできません。ハーバート・サイモンはこれを「限定合理性」と呼び、人は最適解ではなく「十分に満足できる解」を探すと説明しました。毎回ゼロから判断していたら仕事が止まるため、組織は役割を分け、承認フローを作り、判断基準やマニュアルを整えます。ルールは人間の判断負荷を減らし、組織を止めないための仕組みです。
ただしルールには罠があります。ルールは現実を扱いやすくするために現実を単純化しますが、現実は常にルールより複雑です。顧客は例外を持ち込み、部署ごとに優先順位は違い、人は変わります。さらに、本来はリスクを減らすための承認や報告が、いつの間にか「承認を通すこと」「報告した事実を残すこと」自体が目的になることがあります。こうしてルールが現実より優先されると、組織は硬直します。
正しい案が通らないのは「利害」と「評価」のせい
会社は一つの正解を実行する機械ではありません。営業には営業の正しさがあり、経営には経営の正しさがあります。それぞれ単独では合理的でも、組織全体ではぶつかります。理想のフローが見えていても、その案が誰かの生産性を落としたり、誰かの評価を変えたりするなら、現場では通りません。
評価指標も行動を歪めます。グッドハートの法則と呼ばれる考え方では、指標が目標になると、その指標は良い指標ではなくなります。数字を評価に使うと、人は本来の目的より数字をよく見せる行動を取り始め、数字は改善しても仕事の質や組織全体の成果は悪くなることがあります。会社が「挑戦を歓迎する」と言っていても、失敗した人が詰められるなら、人は挑戦しません。組織は言葉ではなく、報酬と罰で動いている面があります。
現場は公式ルールの通りには動いていない
それでも組織が回っているのは、公式フローとは別に非公式フローがあるからです。表向きの手順とは別に、先に特定の人へ話しておく、根回しをする、誰かの善意や属人的な知識で調整する。現場は公式ルールをそのまま実行しているのではなく、解釈し、調整し、迂回しながら回しています。
問題は、この二つのフローがずれても上からは見えにくいことです。公式には問題がなくても、現場では誰かの調整で何とか回っている。この状態が長く続くと、重大なミスが起きない限り現実を見ない組織になります。
良い組織とは「ずれを発見し更新できる」組織
多くの組織は問題が起きるとルールやチェック項目、管理を増やします。しかし本当に必要なのは、既存の目標や価値、ルールそのものを問い直す学習です。組織論では、今あるルールの範囲内で行動を修正する学習をシングルループ学習、ルールや前提そのものを取り直す学習をダブルループ学習と呼びます。
ダブルループ学習を回すには、現場が違和感を言えることが条件です。心理的安全性とは単に仲がいいことではなく、間違いを言えること、違和感を出せること、上司や既存ルールに対して「この前提はずれている」と言えることです。組織は違和感を拾えなくなった瞬間に止まります。
組織が完成しないのは、理想がないからではありません。理想が複数あり、それを実装すると責任・権限・利害・評価が動いてしまうからです。だからこそ、正しさを実行するには「誰の責任と権限が変わるのか」を考える必要があります。
完璧なルールを持つ組織を目指すより、ルールが現実からずれたときに、それを見つけて言葉にし直せる仕組みを作る。その小さな一歩が、個人にもできる組織への関わり方です。