深夜、返事の来ないスマホを何度も開いてしまう。忙しくてなかなかつかまらない人、気分でこちらを振り回す人。気づけば、また同じような相手を好きになっている。友達からは「なんであの人なの」と首をかしげられ、自分でも分かっているのに、同じ道を選んでしまう。
ここで扱うのは心理学の傾向であり、すべての人に当てはまる法則ではありません。それでも、繰り返す恋のパターンに心当たりがあるなら、その背景を一緒にたどってみる価値はあります。
こうした繰り返しは、運が悪いせいでも、見る目がないせいでもない。心の奥に、惹かれる相手を選ぶための「馴染みの型」のようなものがあり、それにぴたりとはまる人へ強く引かれるからだと考えられます。はまった瞬間、心は「この人だ」と音を立てる。でも、その型はずっと昔に作られたものかもしれません。だから、はまる相手が今の自分を幸せにしてくれるとは限らないのです。
同じ相手を選んでしまうのは、意志の弱さではない
過去に惹かれた人を並べてみると、顔や名前は違っても、気持ちの届きにくさや掴みどころのなさがそっくりだったりします。フロイトは、辛かった体験を形を変えて繰り返す心の動きを「反復強迫」と呼びました。その奥には、昔うまくいかなかった愛を今度こそ手に入れたいという願いがあるとされます。冷たい人を振り向かせられたら、自分は愛される価値があると証明できる。そんな思いが、あえて難しい相手を選ばせることがあるのです。
心は、知らない幸せより、慣れた痛みのほうを選ぶことがあります。知らない場所より、知っている場所のほうが迷わずに済むからです。つまり、私たちが探しているのは「幸せにしてくれる人」ではなく、「馴染みの型にはまる人」なのかもしれません。厄介なのは、この選択がほとんど無意識に起きることです。本人はたまたま好きになっただけと感じているため、パターンに気づきにくいのです。
試しに、過去に引かれた人の特徴を紙に書き出してみてください。三人分並べると、思いがけない共通点が浮かび上がってきます。他人のパターンはよく見えるのに、自分のこととなると見えにくい。それは意思が弱いからではなく、心が昔覚えた地図に沿って動いているだけです。地図に気づけば、違う道を選べるようになります。
馴染みの型は、最初の愛の教科書から作られる
私たちが初めて愛を学ぶのは、子どもの頃の家庭です。親や育ててくれた人との関係が、心の中の最初の愛の教科書になります。いい子にしていたら笑ってくれた、泣いたら離れていった。そうした記憶が、愛の形として積み重なっていきます。
たとえば、親が忙しくなかなか関わってもらえなかった場合、愛とは待って頑張ってやっと手に入るものだと覚えてしまうことがあります。親の機嫌に波があった家庭で育つと、顔色を読みながら愛を求めることが普通になります。脳にとって、知っているものは安全なもの。たとえ苦しい感じでも、昔から馴染んだ感覚はどこかほっとする故郷のように感じられます。だから、少し届きにくい愛のほうが、なぜか本物らしく感じてしまうのです。
ここで大事なのは、親を責めることではありません。親もまた自分の型を抱えたまま、精一杯子どもを育てていたはずです。型を作るのは親だけではありません。初恋、兄弟、学校での人間関係、心に深く残った体験が少しずつ重なって型になります。特に初めての恋は強く心に刻まれ、その後の恋の物差しになることも少なくありません。心理学では、幼い頃の関係のパターンが大人の恋でも繰り返し現れやすいと説明されます。
反対に、無条件の優しさに慣れていないと、大切にされることがかえって落ち着かず、何か裏があるのではと疑ってしまうこともあります。この型は、あなたが子ども時代を生き延びるために作った知恵でもあります。あの時はそれが必要だった。ただ、大人になった今も同じ型が最善とは限りません。昔の知恵に、今の自分がそっと手を入れる時期が来たのです。
ときめきは、不安とよく似ている
馴染みの型にはまる相手と出会うと、胸が高鳴ります。でも、そのドキドキは本当に恋でしょうか。実は、不安と恋は体の中ではとてもよく似ています。心臓が早くなる、相手のことが頭から離れない、返事が来ないと落ち着かない。これは恋の症状でもあり、不安の症状でもあります。
既読がつかない夜、ずっとスマホを見てしまう。やっと返事が来た瞬間のほっとするような高揚感。それを私たちは恋の強さだと感じてしまいます。心理学では、ご褒美がいつ来るか分からないとき、人はいちばん夢中になると言われます。たまにだけ優しい人に強く引かれるのは、この仕組みです。くじ引きと同じで、当たるか分からないからこそやめられない。上がったり下がったりするジェットコースターのような恋は刺激的で忘れられませんが、その激しさは相性の良さとは別のものです。
手に入りそうで入らない相手ほど追いかけたくなる。追うこと自体が恋のように感じられてしまう。それが、合わない恋の入り口です。ところが、やっと相手が振り向いてくれると急に気持ちが覚めることがあります。追いかけていたのは相手ではなく、あの届かない感じだったのかもしれません。
一方、いつも同じように優しい人には心が高鳴らない。だから物足りない、退屈だと感じてしまう。でも、その退屈の正体は安心かもしれません。心がざわつかない穏やかな状態に慣れていないだけで、それは実はとても貴重なものです。胸の高鳴りには二つの種類があります。安心の中で育つ温かいときめきと、不安が作る落ち着かないざわめきです。見分けるヒントは、会った後の体に聞くこと。ほっとして元気が出るなら安心のときめき、疲れてぐったりするなら不安のざわめきかもしれません。
自分も相手も、まだ見えていない
合わない人を選んでしまう理由のもう一つは、私たちが自分自身のことを意外と知らないことです。一人でいるときは誰でも穏やかでいられますが、自分の気難しさや弱いところは、近い関係になって初めて顔を出します。寂しいとすねる、疲れると黙る。その説明書を知らないまま恋を始めてしまうのです。
相手のことも、初めはほとんど分かっていません。出会ったばかりの数回のデートで見えるのは、その人のほんの一部です。情報が足りないと、心は隙間を想像で埋めます。しかも、自分が見たい姿で。こうして実際の相手ではなく、理想の相手に恋をしてしまうことがあります。心理学ではこれを「投影」と呼びます。自分の期待や理想を相手に映し出すのです。映した映像はいつか現実とずれ始め、そのずれに気づいたとき、人は「相手が変わった」と感じます。でも、変わったのは見え方のほうなのです。
恋の始まりには、相手の良い面ばかりが目に入ります。気になる点は大したことないと見過ごす。この恋の眼鏡が判断を曇らせます。やがて眼鏡が外れると違いが見え始め、「あれ、こんな人だったっけ」と思う。そこで多くの人が合わない人を選んだと感じます。でも、違いが見えるのは自然なことです。別々の二人が近づけば、必ずどこかでぶつかります。問題は違いがあることではなく、自分の説明書を知らないまま相手を選んでしまうことなのです。
選ぶ瞬間の落とし穴
寂しいとき、人は判断が甘くなります。誰かにそばにいてほしい。その気持ちが強いほど、相手を見極める前に飛び込んでしまいがちです。疲れているとき、自信をなくしているときも同じです。そうした状況では、馴染みの型にはまる相手がいつも以上に魅力的に見えることがあります。選ぶ瞬間のコンディションに自覚的でいるだけでも、少し違う選択ができるかもしれません。
型を書き換えるための小さな手がかり
この型は一生そのままではありません。気づいて、少しずつ書き換えることができます。そのための手がかりをいくつか挙げます。
- 過去の相手を三人書き出す。見た目ではなく、気持ちの届きにくさや関係の終わり方に共通点がないかを見ます。
- 会った後の体の状態に注意する。ほっとするか、ぐったりするかで、安心のときめきと不安のざわめきを分けます。
- 自分の説明書を知る。どんなときにすねるか、何をされると嬉しいかを言葉にしておきます。
- 相手の疲れた日や困った日を見る。楽しい日だけでなく、調子の悪い日のその人を知るには時間がかかります。季節が一巡りするくらいが一つの目安です。
これらは、合わない人を好きになってきた自分を責めるためのものではありません。むしろ、愛を一生懸命求めてきた証でもあります。相手を悪者にする話でもありません。合わないのはどちらかが悪いからではなく、型と型が噛み合わなかっただけです。そして、その型は少しずつ変えていける。まずは、自分がどんな「馴染み」に引かれているのかを知ることから始まります。