SNSで誰かを叩きたくなったとき、書き込む前に試したい3つの問い
SNSとの付き合い方

SNSで誰かを叩きたくなったとき、書き込む前に試したい3つの問い

誰かの失敗や失言を見て、正しい指摘をしたくなるときがあります。その気持ちは必ずしも悪いものではありません。ただ、SNSでは「正しいこと」に見える言葉が、実は誰かを小さくして自分たちが少し気持ちよくなるための道具になっていることがあります。この記事では、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルの功利主義を手がかりに、書き込む前に立ち止まるための具体的な問いを整理します。

結論から言えば、批判を書く前に「その言葉で誰の幸福が増え、誰の苦痛が減るのか」を一度数えてみることです。さらに、自分が得ようとしている快感が、理解や被害の減少につながる深いものか、相手を見下すだけの浅いものかを区別します。この2つを意識するだけでも、SNSでの言葉の選び方は変わります。

まず「多数の小さな快感」と「一人の苦痛」を分けて数える

ミルの功利主義は、行為の善し悪しを「幸福を増やすか、苦痛を増やすか」で考えます。一見分かりやすい考え方ですが、ここに落とし穴があります。多くの人が少しずつ気持ちよくなるために、誰か一人が深く傷つく場合、その構造は正当化されやすいからです。

SNSではこの偏りが極端になります。批判する側の快感は「いいね」や共感の数として見えます。一方、批判された側の苦痛は数字になりません。眠れなくなったこと、次に何かを書くのが怖くなったこと、謝ってもまだ叩かれる感覚。これらはタイムライン上ではほとんど見えません。

書き込む前に、目に見える快感と見えない苦痛を分けて書き出してみるのが有効です。たとえば、次のように分けます。

  • 自分が得るもの:スッキリする、正しい側にいると確認できる、周囲から共感される
  • 相手が失うもの:安心して発信する気持ち、眠れる時間、自分への信頼

もし自分が得るものが一時的な気分の良さだけで、相手の失うものが具体的に思い浮かぶなら、その言葉は功利主義の計算では正当化しにくいかもしれません。

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批判の目的を「内容への反論」と「相手を不快にすること」で区別する

批判そのものが悪いわけではありません。危険なデマを止める指摘、被害者を守る告発、権力の乱用を明らかにする批判には、公共的な意味があります。これらは、問題を解決したり、第三者の理解を深めたりします。

一方で、内容への反論ではなく、相手を不快にさせること自体が目的になった言葉があります。正しいことを言っているように見えても、実際には誰かを小さくし、自分たちが少し気持ちよくなるための言葉です。

書く前に、下書きを読み返して次のように問うと区別しやすくなります。

  • この指摘は、誤解を減らすか、事実を補うか、第三者の判断材料を増やすか
  • それとも、相手が言い返せなくなることや、恥をかくことだけを狙っているか

前者に当てはまるなら、批判には価値が残ります。後者しか残らないなら、書かない、あるいは書き直す選択肢があります。具体的には、人格ではなく行動に限定する、事実と解釈を分ける、訂正や補足を歓迎する形にする、といった工夫が考えられます。

そのスッキリは「浅い快楽」か「深い快楽」かを問う

ミルは快楽に質の違いがあると考えました。すぐに得られる刺激の強い快楽と、理解が深まる快楽、誰かを助ける快楽、自分の見方が広がる快楽は、同じ気持ちよさではありません。ミルは「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい」という趣旨の言葉も残しています。

SNSで誰かを叩くときに得る快感は、多くの場合、浅い部類に入ります。相手を見下す快感、集団で一人を囲む一体感、自分はまともな側だと確認する安心感。これらは強い刺激がありますが、人間を豊かにする快楽とは言いにくいものです。

一方、議論を通じて自分の見方が広がる、誤解が正されて周囲の理解が深まる、被害が減る。こうした快楽は時間がかかりますが、残るものがあります。

書き込んだ後を想像して、「誰かが少し賢くなったか、問題が少し明るくなったか」を確かめます。もし何も残らず、ただ相手の失敗を消費しただけなら、その快感は短い娯楽に近いかもしれません。

一人のコメントが集団になると重さが変わる

SNSでは、一人ひとりは「一言書いただけ」「一回引用しただけ」と思っています。しかし、受け取る側にはそれが千にも一万にも積み重なります。石を一つ投げた人は自分が何を壊したか分からなくても、投げられた側には石の山ができます。

この集団になったときの重さは、書く側からはほとんど見えません。だから「この程度で傷つくほうが弱い」「みんなも言っている」と考えてしまいがちです。しかし功利主義の視点では、自分の一言だけではなく、全体としてどれだけの苦痛が生まれたかを数える必要があります。

すでに同じ内容の批判が多数並んでいるときは、自分の一言が情報を増やす可能性は低くなります。その場合は、書き込む代わりにミュートする、信頼できる人に直接伝える、公式の通報機能を使う、といった方法もあります。全員が同じことを言わなくても、問題が解決する経路は残っています。

それでも批判が必要なときの小さな手順

デマの訂正や被害の報告など、どうしても言葉を残したい場面はあります。そのときは、次の順番で整えると、言葉が「相手を傷つけるため」から「問題を明らかにするため」に近づきます。

  • 事実と自分の解釈を分けて書く
  • 批判の対象を人格ではなく、確認できる行動や発言に限定する
  • 読み手が判断するために必要な文脈や情報を添える
  • 感情が高ぶっているときは、下書きに保存して一晩置く
  • 公開前に「この言葉で誰の苦痛が減るか」を一つだけ確認する

これらは効果を保証するものではありません。ただ、書き込む前の小さな手間として、SNSの負担を減らす助けにはなります。

SNSの正義には快楽があります。悪いものを悪いと言うのは気持ちよく、自分が正しい側にいると感じるのも気持ちいい。だからこそ、その快感が浅いものか深いものかを区別する習慣が役に立ちます。完璧にできなくても、書き込む前に「誰の幸福が増え、誰の苦痛が減るのか」を一度数えるだけでも、言葉の選び方は変わります。

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