やる気が出ないときは、無理に自分を動かさなくていい。レオナルド・ダ・ヴィンチの手記には、そう受け取れる考え方が残されています。ただし、これは「努力をやめていい」という意味ではありません。彼が頼りにしていたのは、気分や肩書きではなく、自分が実際に経験したことでした。
ここでは、彼の生涯と手記に残された言葉をたどりながら、「やる気」と「経験」の関係を考えてみます。手記の解釈には諸説あり、紹介する内容には後世の伝承も含まれることを先にお伝えしておきます。
「私は学者ではない、経験の弟子である」
レオナルドは1452年、フィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれました。法律上の夫婦の子ではなかったため、当時の正式な学校教育を受けることができず、ラテン語や幾何学、絵画を独学で学んだとされています。その手記は約5000ページに及ぶとされ、1994年にはビル・ゲイツがその一部を巨額で落札したことでも知られます。
手記には、こんな一節があります。「ある人は私のことを文字を知らない人間だと断定する。文字によって十分な表現ができないと非難する。なんと的外れな批判だろう」。そして自分は学者ではなく「経験の弟子」だと名乗ります。ここには、学歴や権威への反発というよりも、自分の目で確かめたことへの静かな信頼があります。
経験は嘘をつかない。誤るのは解釈のほう
手記はさらに続きます。「多くの人は経験は嘘をつくと批判する。だがそれも見当違いだ。経験は決して誤らない。ただ諸君の判断が、経験の中に原因を持たないような結果を自分勝手に解釈して誤ったのである」。
これは、うまくいかなかった出来事そのものが問題なのではなく、そこから何を読み取るかが問われている、という見方です。たとえば、仕事で失敗して落ち込んでいるとします。失敗という事実は変えられませんが、「自分は何を勘違いしていたのか」を確かめることはできます。逆に「どうせ自分はダメだ」と結論づけてしまえば、経験から学べる材料はその場で捨てられてしまいます。
やる気に頼らず、観察から始める
レオナルドの仕事の進め方にも、この姿勢が表れています。ミラノで描いた「最後の晩餐」では、当時一般的だったフレスコ画ではなく、あとから描き直せるテンペラの技法を選び、3年をかけて制作しました。ただしこの選択は、温度や湿度の変化に弱いという弱点も抱えることになります。後世には損傷を酷評された時期もありました。
また、フィレンツェでミケランジェロと同時期に壁画を依頼されたときは、技法の失敗によって作品を放棄しています。二人の対決は、どちらも未完のまま終わりました。モナ・リザについても、注文者に納品せず、生涯手元に置いて手を入れ続けたと伝えられています。
これらは「完璧主義が招いた失敗」と読むこともできますし、「納得するまで観察を続けた」と読むこともできます。どちらが正しいかは、本人がそう語っていない以上、断定できません。ただ、少なくとも彼は、締め切りや周囲の期待よりも、自分の目で確かめたことを優先していたようです。
やる気が出ないときに試せること
ここからは、手記の考え方を日常に置き換えた提案です。効果を保証するものではありません。
- 「やる気」を待たず、まず事実を一つ書き出す。何が起きたかと、何を感じたかを分けて書きます。
- その出来事から自分が下した解釈を疑ってみる。「失敗した」と「自分はダメだ」は別の文です。
- 動けない日は、動かないという選択をしてみる。翌日、同じ場面を思い出して、見え方が変わっているかを確かめます。
- 誰かの正解をそのまま当てはめるのではなく、自分の経験と照らし合わせて取捨選択します。
一方で、この考え方が合わない場合もあります。期限が決まっている仕事や、体調そのものがすぐれないときは、気持ちの整理より先に休息や医療的な支援が必要です。手記の言葉は、そうした場面の代わりにはなりません。
「立派に費やされた一日」という言葉
晩年、レオナルドはフランス国王フランソワ1世の庇護を受け、尊敬を集めながら過ごしたと伝えられます。手記には「立派に費やされた一日に幸福な眠りが訪れるように、立派に費やされた人生には幸福な死が訪れる」という言葉が残されています。
ここでいう「立派に費やされた」は、成果を出したかどうかではなく、経験と向き合ったかどうか、という意味にも読めます。多くの作品を未完成のまま残しながら、彼は自分の手で確かめることを最後までやめませんでした。
やる気が出ないとき、まず確かめたいのは「何をすべきか」ではなく「何が起きているか」です。気分が動かないなら、動かないまま観察を続ける。その積み重ねが、あとから自分の判断を支える材料になります。