たとえば、金曜日の夜11時。東京の小さな部屋でノートパソコンを開く女性がいる。画面の向こうには、大阪で働き始めた彼。背景にはまだ片付いていない段ボールが見える。春から遠距離になって半年、毎晩寝る前に少しだけ話すのが二人の決まり事になっていた。仕事のこと、昼に食べたもの、ちょっと落ち込んだこと、職場の小さな出来事。気づけば1時間が経っている。同じ町に住んでいた頃は、会ってもスマホを見ていることが多かったのに。通話を切った後、彼女はふと思う。会えないのになんだか前より彼が近くにいる気がする、と。遠く離れているのに、なぜ心は近く感じるのか。遠距離の恋は本当に続かないものなのか。この問いを、いくつかの研究と日常の場面から考えてみたい。
遠距離は不利なのか
「遠距離は続かない」「会えない恋はいつか終わる」。そんな言葉を一度は聞いたことがあるかもしれない。遠距離になると打ち明けると、周りから「大変だね」「大丈夫?」と心配されることも多い。でも、それは本当なのだろうか。
心理学者たちは、遠距離のカップルと近くに住むカップルを比べてみた。カナダの研究では1000人を超える恋人たちに関係について尋ね、半分以上が遠距離、残りが近距離だった。満足度や親密さ、話し合いの質を細かく答えてもらったところ、関係への満足度は遠距離でも近距離でもほとんど同じだった。親密さや話し合いの質も大きくは変わらない。それどころか、遠距離カップルの中では、離れている距離が遠いほど満足や会話の質が良い傾向さえ見られたという。
アメリカの研究でも、800人を超える恋人たちを調べた結果、遠距離カップルの方がいくつかの点で関係の質が高かった。相手への愛情、一緒にいる楽しさ、会話の質が高く、言い争いはむしろ少なかったと報告されている。近くにいる方がぶつかる機会が多いのかもしれない。さらに、遠距離カップルは関係に縛られているという感覚も少なかった。
ただし、研究によっては遠距離の方が少し低いという結果もある。いつでも遠距離が勝つわけではない。研究者たちは、遠距離を選んで続けている二人は、元々相手を慎重に選び、強い気持ちで続けている可能性も考えている。少なくとも、離れていることそのものが恋を壊すわけではない。それが多くの研究から見えてきたことだ。
限られた時間が会話を深くする
会えない二人の心を何が近づけているのか。アメリカのコーネル大学の研究者たちは、63組のカップルに1週間、相手とのやり取りを日記に書いてもらった。半分は遠距離、もう半分は近くに住むカップル。会うたび、電話のたび、メッセージのたびに、その時の気持ちを記録してもらった。どれくらい相手を近く感じたか、どれくらい自分のことを話したか、そうしたことを毎回つけていった。
当然ながら、遠距離カップルはやり取りの回数が少なかった。顔を合わせて話す機会もほとんどない。それなのに、遠距離カップルの方が、やり取りのたびに相手を近く感じていた。その理由の一つは打ち明け方だった。遠距離カップルは自分の気持ちや考えをより深く打ち明けていた。会える時間が限られていると、人は本当に話したいことを選ぶ。今日の天気の話より、今日感じたことを話す。嬉しかったこと、不安なこと、将来のこと。限られた時間が話の中身を選ばせるのだ。
反対に、いつでも会える二人は会話がつい浅くなりがちだ。また明日話せばいいと思えるから。そして明日も同じように話さずに1日が過ぎていく。同じ部屋にいても、それぞれがスマホを見ている。そんな時間が増えると、そばにいるのに心は少しずつ離れていく。遠距離の二人には言葉しか相手に届く手段がない。だからこそ言葉を大切に使う。自分のことを打ち明けると、相手も打ち明けたくなる。その繰り返しが二人の距離を縮めていく。
離れていると相手が少し輝いて見える
日記の研究では、遠距離カップルは相手の振る舞いを実際より少し良く受け止めていた。心理学ではこれを理想化と呼ぶ。相手の言葉や行動を好意的に解釈し、良いところに目を向けやすくなる。なぜ離れていると理想化が起きるのか。理由の一つは、見えている情報が少ないことだ。画面越しや文字だけでは、相手の毎日の小さな癖や機嫌の悪い時間はほとんど見えない。見えない部分を人は想像で埋める。そして好きな相手のことは、大抵良い方向に想像する。短い通話やメッセージでは、お互いに一番良い自分を見せようとする。疲れた顔は画面に映る前に少し整える。望遠鏡のレンズ越しには、相手の輝いているところだけがくっきり見えるのだ。
程よい理想化は関係にとって悪いことではない。相手を少しよく見ている恋人同士ほど、関係に満足し長く続きやすいという研究もある。心理学ではこれを前向きな思い込みと呼ぶこともある。相手の良いところを信じていると、相手もその期待に応えようとする。少しの思い込みが二人を支えてくれる。会えない時間を乗り越えるのに、このレンズは大きな支えになる。あの人なら大丈夫、そう思えることが寂しい夜の支えになる。
ただし、レンズの倍率が上がりすぎると困ったことが起きる。相手が実際よりもずっと完璧に見えてしまう。頭の中の相手と本当の相手の間に、少しずつずれが生まれていく。そのずれは離れている間はほとんど気づかれない。確かめる機会がほとんどないからだ。このずれが、後で大きな問題になることがある。
文字のやり取りが持つ力
普通は顔を見て話す方が気持ちが伝わると思われている。表情も声の調子も全部分かるからだ。実際、画面を見て話す時間は二人にとって掛けがえのないものだ。ところが、日記の研究では遠距離カップルの親密さは、文字のメッセージでやり取りした時に特に強くなっていた。研究者たちはその理由を、メッセージの三つの特徴で説明している。
- 言葉を選べること。返事を書くまでに少し時間があるので、伝えたいことを丁寧に考えられる。
- 見せたい自分を見せやすいこと。寝癖や疲れた顔は文字には映らない。
- いつでも持ち歩けること。電車の中でも昼休みでも、相手からの言葉を読み返せる。
寝る前に相手の言葉を何度も読み返す。その時間が相手を思う時間をぐっと長くしてくれる。ただし、文字のやり取りには気をつけたいこともある。顔が見えない分、ちょっとした言葉が冷たく受け取られることがある。返事が遅いだけで不安が膨らむこともある。既読がついたのに返事がない、それだけで眠れなくなる夜もある。だから文字だけに頼りすぎず、時々声を聞くことも大切だ。声には文字では伝わらない安心の力がある。お休みの一言を声で聞くだけでほっとする夜もある。文字で丁寧に気持ちを伝え、声でぬくもりを届け、会えた時にゆっくり時間を過ごす。それぞれの得意なところを組み合わせればいい。
再会のときに起きること
遠距離の親密さには、一つの大きな落とし穴がある。それは離れている時ではなく、また一緒に暮らし始めた時にやってくる。離れている間、相手を理想化しすぎると、再会したときにレンズなしの素顔が見えてくる。頭の中の相手と実際の相手のずれに戸惑う。近くにいると、相手の小さな癖や機嫌の悪い時間も見える。それまで見えなかった部分に直面する。これは遠距離が悪いのではなく、距離が作り出した見え方の変化だ。再会後に関係が難しくなるのは、理想と現実の調整が必要になるから。お互いの素顔を少しずつ知り直す時間が要る。
近くにいる二人へのヒント
近くにいる二人にも、遠距離の二人が自然にやっていることが参考になる。会える時間が無限にあると思わず、今日話したいことを一つ選んでみる。同じ部屋でスマホを見る時間を少し減らし、相手の顔を見て話す。文字でもいいから、感謝や気持ちを言葉にする。限られた時間だと思うと、話す内容が変わる。
ただし、会えない不安を相手を問い詰めたり見張ったりすることで埋めないでほしい。関係が辛い時は一人で抱え込まないでほしい。遠距離でも近距離でも、二人の形はそれぞれだ。距離そのものより、限られた時間をどう使うかが親密さを左右するのかもしれない。
会えないからこそ言葉を選び、相手を想像し、思いやる。距離が二人を近づけることがある。でも、その近さが再会後にずれを生むこともある。遠距離の恋が続くかどうかは、距離の有無より、お互いをどう見て、どう話すか。その積み重ねなのだろう。