病床の王、魂の叫び
古代インド、マガダ国の王宮。奥座敷の奥深く、人気の絶えた一室でアジャセ王は身を縮こませていた。全身を覆う悪性の疱瘡(ほうそう)からは膿が滲み出し、床に黒い染みを作っている。鼻をつく悪臭、口の中に広がる苦い味、触れる布地までもが痛みとなって王を苛む。
これは尋常の病ではない。あらゆる薬草も、どんな治療も効かない。なぜならこの病は、心から生まれたものだから。
王の脳裏に、あの日の光景が蘇る。深い愛情で自分を育ててくれた父・ビンビサーラ王を、大いなる野心に目がくらんだ自分が自らの手にかけた瞬間。父の最後のまなざしには、怒りも恨みもなく、ただ深い悲しみだけがあった。
「私の病は心から生まれたものです。どんな薬を塗っても、塗れば塗るほど悪化するだけ。肉体の病ではない。魂が腐り始めているのです」
夜も眠れない。瞼を閉じれば地獄の炎が見える。極寒の氷地獄、沸騰する血の池、無数の鬼たちの笑い声。死んだ後に待っている責めが、生きているうちから王を蝕んでいた。
六人の大臣、六つの「偽りの救い」
そんな王を救おうと、六人の大臣が次々と訪れる。しかし、彼らが差し出したのは真実の慰めではなかった。
月勝大臣──「地獄など存在しない」
「大王よ、憂いに悩めば憂いは増すだけ。地獄などという場所へ行って、その恐ろしさを語った者がいるのか。地獄などは世間の狡猾な者たちが作り上げた話に過ぎぬ」。
彼はプーラナ・カッサパという沙門の教えを持ち出した。「世の中に悪業というものはない。だから悪業の報いもない。同時に善業もなく、善業の報いもない」と。王は身を乗り出した。「もしそうならば、私の罪も存在しないということか」。大臣は頷く。「その通りでございます」。
王の声に久しぶりの明るさが戻った。しかし、それは闇を照らす光ではなく、闇を隠す薄汚い布に過ぎなかった。
徳造大臣・実徳大臣──「殺生は罪にならない」
翌日、徳造大臣は「王法」を盾にした。「王法によれば父を殺しても罪にはならぬ。からか虫という虫は母の腹を破って生まれるが、それがその虫の生まれ方だから罪でないのと同じだ」。
実徳大臣はマッカリ・ゴーサーラの決定論を説く。「人の体は地水火風・苦・楽・寿命の七つの要素からできている。これらは何者にも害されない。だから殺すものも殺されるものも存在しない」と。
罪悪感を理屈で解体しようとする試み。だが、王の魂の奥底では、何かが冷たく笑っているのを感じていた。
残り三人の大臣──「過去の王も殺した」「善悪はない」「国家のためなら許される」
- 湿木大臣:歴代の王たちも父を殺して王位を継いだが、誰一人地獄に落ちたとは聞かない。アジタ・ケーサカンバリンの教え「金も土も平等で何の区別もない。刀で右脇を切るものも左脇を切るものも、どちらも土に変わりはない」
- きっと大臣:「地獄の極(ごく)とは『破る』こと。死を破るということは業の報いがないということ」と、パクダ・カッチャーヤナの言葉を曲解する
- 無所大臣:王が国家のために人を殺すのは罪ではない。ニガンタ・ナタプッタの教え「善も悪もない。全ての生き物は八万大劫を経れば罪の有無に関わらず生死の世界から脱することができる」
六人の大臣、六通りの「因果否定」。王の表情に久しぶりの安らぎが戻った。「そうか。そうなのか。私の罪は罪ではないのか。地獄などというものは存在しないのか」。疱瘡の痛みも少しだけ柔らいだような気がした。
廊下の向こうから、別の足音
その時、廊下の向こうから別の足音が聞こえてきた。現れたのはジーヴァカという名の医師だった。
王は今度こそ安心した声で答えようとした。大臣たちの話を聞いて心が軽くなったのだから。ところがジーヴァカの前に立った時、なぜか言葉が出てこない。代わりに口をついて出たのは、絞り出すような偈(げ)だった。
「永遠に煩悩を断ち切り、心も身体もこの世の背を背負わず、涅槃に至るものなら安らかに眠ることができる。しかし迷いの闇に閉ざされ、煩悩の報いも見えず、常に悪業を作るものは安らかに眠ることなど得られない。この世の楽しみのために父を害し、それを恥じることもないものは、決して安らかに眠ることはできないのだ」
王の声は震えていた。大臣たちの言葉で一時は軽くなった心が、再び罪の重みに引き戻されたのだ。
「慚愧(ざんき)」──救いへの扉を開く言葉
ジーヴァカは静かに王を見つめていた。そのまなざしには、偽りの慰めではない、何か別のものが宿っていた。
「大王よ。その声にはこれまでの大臣たちとは全く違う響きがあります。大王の犯された罪は天地も受け入れがたいほどの重大さです。しかし大王にはすでに深い『慚愧』の心が現れています」
慚愧。王は初めて聞く言葉だった。
「慚とは自ら罪を作らないこと、人にはばかること。愧とは他を教えて罪を作らせないこと、天にはばかることです。この心を持てる者はもはや凡夫とは呼べません。知恵あるものは罪を包み隠さず、心から悔いるのです。大王、あなたが業の報いを深く理解しておられる。その理解こそが、他の者たちとは決定的に違うのです」
濁った水に真珠を──懺悔の力
ジーヴァカの言葉は続く。
「仏の説によれば、死者には二通りあります。悪業を作らないものと、悪業を作っても懺悔するものです。濁った水の中に真珠を入れると、真珠の力で水が清くなります。雲が晴れれば明月が現れます。悪業も懺悔すれば業障は消滅し、本来の清らかさに戻るのです」
王は食い入るようにジーヴァカを見つめた。わずかな真珠の粉が世の全てのものを焼き尽くすことができるように、小さな懺悔もまた大きな悪を破ることができる。一つの真珠は百種の毒を消すのです。
そしてジーヴァカは静かに、しかし力強く言った。
「死人は如何なる名医も再生させることができません。同じように、罪を隠し懺悔せず、因果の道を信じないものは、例え仏といえども救うことができないのです。彼らは因果を信じず、慚愧なく悪友に親しみ、仏の教えに背を向けます。そのようなものには仏といえども施しようがないのです」
「しかし大王よ。あなたは彼らとは違う。あなたには罪の重さを知る心がある。だからこそ救われる可能性があるのです」
王舎城の北、耆闍崛山に佇む方
ジーヴァカの眼差しが、より深い何かを語り始める。
「カピラ城の王子として生まれ、出家し、悟りを開き、大慈悲を持って生きとし生ける全てのものを哀れまれる方がおられます。その方は時に応じて法を説き、時を得なければ一言も語られません。相手を見極め、その人に最も必要な教えを授けられるのです。その方の知恵は清らかなごとく、我々は拝すべきものです。この仏の甚深な自在は、生きとし生ける全てのものの罪悪をも破る力があるのです」
王舎城の北、耆闍崛山(ぎじゃっくせん)の麓に今、数えきれないほど多くの菩薩たちのために様々な法を説かれている。
「大王がお会いになれば、あらゆる重罪も消えてしまうでしょう」
二つの道、そして選択の時
王の前に二つの道が示された。
- 大臣たちが説く「因果も地獄も罪も存在しない」という暗闇の道
- ジーヴァカが示す「罪を認め、慚愧し、仏に帰依する」救いの道
しかし王はまだ知らない。その選択が自分自身の魂だけでなく、国の運命をも左右することを。そして耆闍崛山で、一人の聖者が王のために光を放とうとしていることを。
疱瘡の痛みは変わらない。だが、王の背筋が伸びた。初めて、自分の足で歩き出せるような気がしたのだ。
問いの余韻
私たちは誰しも、取り返しのつかない過ちを抱えて生きている。その時、耳障りの良い言葉で蓋をするのか。それとも痛みを直視し、慚愧の心を持って真実の教えに出会うのか。
アジャセ王の夜は、まだ更けていく。だが、その闇の中に、一筋の光が差し込み始めていた。