芥川賞作家・又吉直樹氏が、若者の「生意気」という振る舞いの本質について鋭く切り込んだ言葉を残している。個性と称されて振る舞う生意気が、年月を経てどのような歪みを生むのか。その指摘は、世代を超えて響く普遍的な問いを含んでいる。
「生意気を売りにする若者」の正体
又吉氏はまず、こう語る。
生意気を売りにする若者いるじゃないですか。それが個性とされてた若者が老人なって若者にわがまま言ってたりするんです。
若い頃に「生意気」を武器に注目を集めた人物が、歳を重ねてもその振る舞いを改めず、今度は立場を利用して若者にわがままを通す。その姿を「あかんやん」と一蹴する。
それは成功体験なのか、それとも暴力的で無謀な自分こそが魅力的だと信じ込んでいるのか。どちらにせよ、そこには「生意気老人」への変質が見え隠れする。
本物の「生意気」と「売り物の生意気」の差
又吉氏は、二種類の「生意気」を明確に区別する。
実は生意気な若者って偉い人に文句言うなんです。で、文句言い続けてたらこれはもうパンクスなんです。かっこいいんです。
権威に真っ向から異を唱え、文句を言い続ける。その姿勢こそがパンクスであり、カッコよさの源泉だという。
一方、「生意気を売りにしている若者」は違う。
僕が言ってる生意気売りしてる若者って権威に可愛がられるんです。
彼らは権威に媚び、取り入ることで利益を得る。その結果、
帰得権疫で飯食ってるしょうもない大価たちに対してインナーパンクみたいなこいつをさらにのさばらすことになるんです。
実力のない「大物」たちをさらに増長させ、真に反骨精神を持つ若者が報われない構造を生み出す。「この生意気キャラのやつだけがええ思いしてるんです」と、又吉氏は冷ややかに見据える。
老いて権威になるとき
時間は残酷に真実を暴く。
老人なってむしろお前は生意気キャラじゃなくてお前が権威になってんねや。みんながお前に気を使い始めてんねやのに若者に対して偉そうにしてるんですよ。
かつて「生意気キャラ」を演じていた人物が、気づけば権威側に回っている。周囲が気を遣い始めているのに、若者には依然として偉そうに振る舞う。この矛盾を「あかんやん」と断じる。
さらに、
まだ若者の足いっぱいのお前は同世代の若者の足も今の若者足も引っ張り続けてんねん。
自分自身がまだ若者の域を出ていないのに、同世代にも後輩にも足を引っ張り続ける。その責任の重さを、又吉氏は言葉を選ばず伝える。
若者への責任を果たすとは
では、どうあるべきか。結びの言葉は静かだが、重い。
生意気キャラでやってた人は若者に優しくするるルルーぐらい守ろうよ。
「生意気キャラ」で通してきた人ほど、若者に優しくし、守る立場に回るべきだという。ルールー(ルール)くらい、最低限の筋は通そうではないか。その呼びかけには、説得力と優しさが同居している。
生意気を「売り物」にするのか、魂の叫びとして貫くのか。その選択が、後の人生を、そして周囲の若者たちの未来を分かつ。又吉氏の言葉は、その分岐点を静かに照らし出している。