俳優・窪塚洋介氏が、「流れに流される」という言葉の持つネガティブな印象を覆す視点を示している。一般に「意思なく漂う」と捉えられがちなこの言葉だが、氏は「流されるべきだと考えて流れていれば、そこには自分の意思がある」と語る。
「流される」ことへの罪悪感
社会の流れに身を任せている自分に罪悪感を抱く人は少なくない。「意思がない」「周りに流されているだけ」という自己否定の声が、内側から湧き上がる。しかし窪塚氏は、その感覚こそが「そうじゃない感じがする」と、静かに異議を唱える。
受動から能動へ──「流されるべき」と決める意志
「しょうがなく流されてんじゃなくて、その流されるべきだと思って流れてれば、そこに自分の意思はある」
窪塚洋介
「しょうがなく」という受動的な諦めではなく、「流されるべきだ」と自ら判断して流れに乗る。その選択の瞬間に、確かな主体性が宿るという考え方だ。
脱力と自然体が生む最大の力
氏は自身の経験を振り返り、かつては「拳を上げて頑張っていた」時期があったと明かす。しかし今、最も力が出るのは「脱力して自然体でいること」だと語る。
「この時代のフローの中に流れに乗りながら、自分らしく自分のやりたいことをやっていくっていうのが、やっぱり一番力が出ると思うし、自然なことだから」
窪塚洋介
抗うのではなく、時代という大きな流れに身を預けつつ、自分のしたいことを貫く。その在り方こそが、無理のない強さを生むと説く。
流れに逆らわず、しかし流されるだけでもない。「流されるべきだ」と決める意志こそが、自然体で最大の力を発揮する鍵なのかもしれない。