1994年、32ビットの処理性能とCD-ROMによる映画・音楽再生を備えた3DOは、PlayStationやセガサターンより早く市場に出た。しかも当時アーケードで人気だった『スーパーストリートファイターII X』を独占移植し、発売直後は品切れになる店もあった。それでも数年で姿を消した。敗因は性能や話題作ではなく、価格を下げにくい仕組みと、ゲームを買う場所に届かない販売経路にあった。
本体を作らない仕組みが価格競争を遅らせた
3DOを企画したのは、エレクトロニック・アーツ創業者のトリップ・ホーキンスが設立したThe 3DO Companyだった。この会社は自ら本体を製造せず、松下電器などのメーカーに規格をライセンスし、本体1台ごとのライセンス料とソフトのロイヤリティで収益を得る方式をとった。任天堂やセガのように本体を安く売ってソフトで回収する戦略とは、最初から構造が異なっていた。
この方式は、規格を公開して複数メーカーが参入できる自由度を持つ一方で、価格を下げる判断が一社だけでは完結しなかった。米国では699ドル、日本では5万4800円。ソフトを合わせると6万円を超えた。性能を考えれば妥当という見方もあったが、ゲームを遊びたい人にとっては、スーパーファミコンやメガドライブのソフト価格と比べて負担が大きかった。
1994年11月にセガサターンが4万4800円で登場すると、3DOは同価格の新モデルを投入した。しかし発売から半年での値下げは、初期購入者の不満を招く可能性もあった。価格で対抗しようにも、本体を製造する側の採算とライセンス料の構造が絡み、素早い値下げが難しかった。
独占タイトルだけではソフト不足を補えなかった
日本では『スーパーストリートファイターII X』が3DO独占だったため、これだけを目当てに本体を買う人もいた。発売直後は好調だったが、それ以外に遊びたいソフトが少ないという声が広がった。本体が十分に売れなければソフト会社も新作を出しにくく、ソフトが増えなければ本体も売れないという循環に陥った。
さらに、製造を担った松下電器は家電量販店には強かったが、ゲーム専門店への流通は弱かった。そのため町のゲームショップでは3DOを扱わない店もあり、ゲーム機として探している人の目に触れにくかった。家電コーナーに置かれても、ゲームを買う場所として選ばれなければ、購入のきっかけを失う。
性能が高くても、選ばれる理由は一つでは足りない
3DOは32ビットCPUとCD-ROMによるマルチメディア再生を備え、映像の滑らかさや表現力は当時の16ビット機を上回っていた。しかし消費者が店頭で比べたのは、処理性能だけではなかった。セガサターンは同じ32ビットで1万円以上安く、アーケードで人気だった『バーチャファイター』を遊べた。ソフトの選択肢も徐々に増えていった。
3DOの事例から確認しておきたいのは、次の3点だ。
- 先行していても、価格を柔軟に変えられる仕組みになっているか
- 目玉になる商品やソフトが一つあっても、その後に続く選択肢があるか
- 買う側が実際に足を運ぶ場所へ、製品が届いているか
性能や独占タイトルは注目を集める力になる。しかし、それを継続して選んでもらうには、価格、ソフトの厚み、販売経路の三つがかみ合う必要がある。3DOは最初の勢いを、その後の仕組みで支えきれなかった。