帰納法——小さな事例を積み上げる
そこでベーコンが対置したのが帰納法です。帰納法とは、複数の個別の事例から一般的な規則や法則を導き出す推論を指します。仮の例として、イチゴにもオレンジにもレモンにもビタミンが含まれているという事実が確認できたとします。共通点は果物であるため、「果物にはビタミンが含まれる」という結論を導く、という流れです。
この例は説明のために単純化したもので、実際にはサンプルの数と質が問われます。三つの事例から一般法則を言い切るのは無理があり、事例を重ねるほど結論の信頼性は変わっていきます。ベーコンは、正しい知識は自分の経験や実験を通してしか得られないと考えました。この立場は経験論と呼ばれます。
一方、経験よりも理性を重んじる立場もありました。合理論です。代表的な人物としてデカルトが知られています。合理論の側が経験を信用しなかった理由の一つは、人間の五感そのものが不完全だという点にあります。見間違いや聞き間違いは誰にでも起こりますし、犬のような嗅覚や鳥のような視覚を持っているわけでもありません。不完全な感覚を通して得た情報が常に正しいとは言い切れない、という指摘はもっともです。
それでも経験は誤る——4つの思い込み
ここで問題が残ります。経験を積めば正しい知識に近づけるとしても、その経験を集める感覚自体が不完全なら、間違った結論にたどり着く可能性は消えません。ベーコンがこの弱点に対して示した答えが、思い込みを先に捨てるという手順でした。
『ノヴム・オルガヌム』では、人間が陥りやすい思い込みが4つ挙げられています。一般にはイドラと呼ばれ、人間という種に共通する偏り、生まれ育った環境による偏り、言葉のやり取りから生まれる偏り、権威や流行の思想体系による偏りの4つとして整理されることが多いものです。分類の細部よりも、「判断をゆがめる原因は外側の情報ではなく内側にある」という見方をした点が重要だと考えられます。
ここは補足しておきます。4つを完全に消し去ることは想定されていません。少なくともこの著作の提案は、思い込みをゼロにするというより、思い込みがあることを前提に手順を足すという方向だと読めます。これは記事としての解釈です。
日常の判断にどう関わるか
たとえば、会議で「多くの人が賛成しているから」と結論を急いだ場面を想像してみてください。周囲の意見に引っ張られるのは、言葉と人のつながりから生まれる偏りです。SNSで同じ主張ばかり目に入る状態も近いものがあります。
試すとすれば、結論を出す前に「この判断は何を根拠にしているか」を一つ書き出すことです。そのうえで、反対の事例を一つ探す、使っている言葉の定義を確認する、といった手順を足せます。ただし手順を増やす分、時間はかかります。
向かない場面もあります。緊急の対応や、自分より専門的な判断に委ねるべき場面では、前提を一つずつ疑う余裕はありません。また、考えすぎて動けなくなりやすい人にとっては、疑う手順を増やすとかえって負担になることがあります。合わないと感じたら、全部を疑わず、ひとつの場面だけに絞るほうが現実的です。
判断が偏るのは、情報が足りないからだけではありません。受け取る側のクセが先に働いている。だから順番としては、集める前に一度立ち止まる。ベーコンの提案を日常に置き換えると、そういうことになります。