60代で仕事を手放した人と、70歳を過ぎても朝になると背広を着て出かける人。生まれた年も健康状態も貯蓄もほとんど同じでも、10年後には顔つきや一日に話す言葉の量、物覚えに差が出ることがあります。この差は性格や年齢のせいではなく、毎日繰り返している2つの習慣の有無から生まれます。ひとつは予定を自分の外側に置いておくこと。もうひとつは、誰かから頼まれる側に立ち続けることです。
仕事をやめた直後は自由を感じますが、3か月ほどすると「今日が何曜日かすぐ出てこない」「朝昼の区別が曖昧になる」といった変化を感じる人が少なくありません。これは気力が落ちたのではなく、仕事が毎日用意してくれていた「時間の区切り」がなくなったために起こります。
最初に失われるのは時間の区切り
オーストリアの社会心理学者マリー・ヤホダは、仕事が人に与えるものを収入のような目に見える働きと、目に見えない潜在機能に分けて考えました。潜在機能のうち最初に失われやすいのが「時間の構造化」です。9時までに着く、昼に手を止める、夕方に帰る。こうした区切りがあるから、私たちは今が一日のどこかを考えなくても分かっていられます。
仕事を離れると、収入だけでなくこの区切りも同じ日に持ち去られます。区切りは目に見えないため、失ったことに気づかないまま「なんとなく調子が出ない」という感覚だけが残ります。予定がない状態は自由ではなく、選択肢がゼロの状態です。自由とはいくつかの選択肢から選べること。時間だけがあっても動けないのは、その時間に自分を連れ出してくれる相手がいないからです。
また、一日は長いのに一年があっという間に過ぎる感覚も、区切りの喪失と関係があります。人は後から時間の長さを測るとき、その間に起きた出来事の数を手がかりにします。似たような一日が並ぶと、記憶の中でまとめて短く畳まれてしまいます。