不安は欠点ではなく、仕組みとして鳴っている
では、心配の9割が外れるなら、不安は役に立たない壊れた機能なのか。そうとも言い切れない記録がある。脳の奥にある扁桃体という場所が両側とも病気で壊れた44歳の女性は、蛇やクモが大嫌いだと話していたにもかかわらず、店で大きな蛇に触りたいと何度も頼み、タランチュラにも手を伸ばした。理由を尋ねられると「好奇心です」と答えたという。この人は人生の中で刃物を突きつけられるなど、危ない目にあった出来事がいくつも記録に残っている。怖さがないと、人は危険から離れるのではなく、むしろ近づいてしまうことがある。
1946年にイギリスで生まれた子どもを追いかけた長期の記録では、13歳のときに教師が評価した不安の強さと、25歳までに起きた事故死の危険に関係が見られた。不安が低いと見られていた子の方が、事故で亡くなる危険はおよそ6倍高かった。心配しやすい子は、危ないものから少し離れて暮らしていたのかもしれない。ただし、25歳を過ぎると事故以外で亡くなる割合は、不安が強かった人の方が高めだった。不安は人を守るが、そのために払うものもある。ただの欠点でも、ただの長所でもない。
実験室で育った猿の子どもは、蛇を見ても平気だった。ところが、親が蛇を前に怯える姿を少し見せると、6匹のうち5匹が蛇を強く怖がるようになり、3か月たっても消えなかった。映像をつなぎ換えて、花やウサギのおもちゃを怖がっているように見せても、子どもが怖がるようになったのは蛇とワニのおもちゃだけだった。怖さは見て覚えるが、覚えやすいものは初めからある程度決まっているように見える。人間の幼い子どもも、花や芋虫より蛇の写真を早く見つけるという記録がある。
こうした仕組みは、人や猿だけのものでもない。2014年、フランスの研究者たちはザリガニを電気の流れる水に入れた。電気がなくなった後も、ザリガニは明るい通路を避けて暗いところから出てこなくなった。そこへ人の不安を和らげる薬を投与すると、再び明るい通路へ出ていった。不安の仕組みの一部は、遠い昔から生き物に受け継がれてきたと考えられている。
火災報知器は、空振りを覚悟で鳴る
遠い昔の草むらで、ガサッと音がしたとする。ライオンかもしれないし、ただの風かもしれない。見分ける暇はない。逃げるのに使うエネルギーはわずかでも、逃げずにライオンだったら失うのは命だ。失うものの差が大きければ、1000回のうち1回しかライオンがいなくても、毎回逃げる方が生き残れる。そのとき999回は空振りになる。それでも、その999回は間違いではなく、安全側に振れた正しい逃げ方だった。
この考え方では、人の心配は火災報知器に例えられる。湯気でも鳴ってしまう報知器はうるさい。けれど、本当の火事を一度も逃さないのは、その報知器の方だ。心配の9割が外れるのは、壊れているからではなく、そう作られているからかもしれない。もちろん、これは進化の考え方から出された説明で、不安の強さがいつもちょうどよく調整されているという意味ではない。
外れる心配には、もう一つの落とし穴もある。心配したことが起きないと、脳は「心配したから防げた」と数えてしまう。すると、外れれば外れるほど、心配はやめられなくなっていく。研究者の中には、そう考える人もいる。
終わりの合図がない心配
怖さと不安は少し違う。怖さは目の前の危険にすぐ起きて、危険が去ればすぐ消える。不安は、遠くの見えない、いつ来るか分からない危険に向かって長く続く。草原のライオンは来て去っていく。火災報知器も鳴って止まる。けれど、今の暮らしで人の報知器を鳴らしているのは、帰ってこない返事、来週の発表、検査の結果といった、目の前にいない形のない危険だ。これらには、ライオンが去るような終わりの合図がない。報知器は止まる合図を待ちながら、鳴り続けてしまうのかもしれない。
空振りを数えること、読み替えること
鳴りすぎる報知器とどう暮らしていくか。手がかりになる小さな記録が二つある。一つ目は、先ほどの29人の研究だ。心配を書き止め、答え合わせを続けた人たちは、外れた心配の割合が高い人ほど、治療の後に不安が軽くなっていた。自分の報知器がどれくらい空振りするのかを、自分の目で数えたことになる。
二つ目は、アメリカの大学院入試を控えた28人の記録だ。練習試験の前に、ある組にだけ「試験で不安を感じても成績は下がらない。体の高ぶりが助けていることもある」と伝えた。1か月から3か月後の本番で、その組の数学の点は800点満点中770点、伝えなかった組は706点だった。高ぶりを消したのではなく、高ぶりの意味を読み替えただけだった。どちらも30人に満たない小さな研究で、不安を消す方法ではない。それでも、音を止めるのではなく、音との距離を変える試みとして、覚えておけるかもしれない。
不安は心が壊れている証拠ではない。遠い祖先から受け継いだ火災報知器の音が、今夜も鳴っている。ただ、今の暮らしには終わりの合図が少ないから、その音は止まりにくい。自分の空振りを数えてみること、体の高ぶりを別の意味で受け取ってみることは、鳴り続ける音を消すのではなく、少し離れて聞くための手がかりになるのかもしれない。