競争の入り口は開いていても、スタート地点は揃っていない
現代の大学や会社は、表面上は誰にでも門戸が開かれています。しかし、入り口にたどり着くまでに必要な教育や時間、情報、人脈、失敗してもやり直せる余裕は均等ではありません。競争に勝った人は、その報酬を子どもの塾や経験、自信、学歴へ変えることができます。子どもが試験会場に入る頃には、親の経済力は見えなくなり、本人の能力だけが見えるようになります。受け継がれた優位は「実力」と呼び直されるのです。
この環境差を示す研究もあります。2019年に発表された分析では、特許記録と税務記録を結びつけ、約120万人の発明家を調べたところ、所得上位1%の家庭に生まれた子どもは、所得が中央値未満の家庭の子どもより将来発明家になる確率が約10倍高かったと報告されています。幼少期の数学の成績が似ている子ども同士でも差は残り、発明家に接する環境があるかどうかが進路に影響していました。研究者たちは、環境が違えば重要な発明をしていたかもしれない人々を「失われたアインシュタイン」と呼んだといいます。
小さな差が「実力」に変わる仕組み
実力主義のもう一つの特徴は、最初の小さな差が資源を集め、後から「もともとの才能の差」として説明されることです。社会学者ロバート・マートンが指摘した「マタイ効果」では、同じような成果でも有名な研究者のほうが大きな評価を受け、研究費や共同研究者、発表機会が集まり、実際に次の成果も出しやすくなります。最初は評判の差だったものが、やがて成果の差に変わるのです。
会社でも同じことが起きます。入社直後に将来有望と見なされた社員には重要な案件や優秀な上司、経営層の前で話す機会が与えられ、最初の評価が低い社員には定型業務が集まりやすい。数年後、会社は両者を比べて「やはり最初に選んだ人のほうが優秀だった」と言いますが、能力差の一部は選抜の後に会社自身が作っている可能性があります。SNSや消費の場でも、再生回数やフォロワー数といった指標は、人気を映すだけでなく人気そのものを生産します。多く聞かれているから聞く、数字が増える、数字が増えたからさらに聞かれる。指標が現実を作る側に回るのです。
日常生活でできる小さな問いかけ
この仕組みを知ると、自分や他人を一つの結果で判断する癖を少し緩められます。完璧に公平な社会を作るのは難しいですが、日々の考え方に次のような問いを挟むだけでも、自己責任の重さは変わります。
- 自分と誰かを比べたとき:「この差は、本人の努力や能力だけの結果だろうか。環境やスタート地点の違いはなかっただろうか」
- 誰かの能力を評価しそうになったとき:「見えている自信や主体性の裏に、どんな育ちや資源があっただろうか」
- 一度の失敗や不合格を自分の価値と結びつけそうになったとき:「その結果は、特定の場面で測られた一部の能力にすぎないのではないか」
これらの問いは、努力を否定するものではありません。仕事によって必要な能力が違うのは当然で、手術の技術や操縦能力、構造の知識は欠かせません。ただ、特定の仕事に必要な能力を測ることと、人間全体の価値を順位づけることは別です。試験の点数や面接の評価は、その場で測られた範囲のものを示すにすぎません。それを人生全体の配分や人格の優劣にまで広げてしまうと、実力主義は公平な選抜ではなく、新しい身分制に近づいていきます。
実力主義の罠は、格差を「努力が足りなかった」という道徳的な物語に変えてしまうことです。その物語に気づくだけでも、自分を責めすぎず、他人を一方的に決めつけない余白が生まれます。環境の差は簡単には消えませんが、問いを手放さないことは、暮らしの中でできる小さな抵抗になるはずです。