「努力が必要になった関係は、もう本物ではないのかもしれない」。久しぶりに友人と会う約束をするとき、日程を何度もやり取りしていると、そう感じることがあります。でも、会うための手間が増えたのは、相手への気持ちが変わったからとは限りません。学校や職場が自然に用意してくれていた「会う機会」が、生活の変化でなくなっただけという場合も多いのです。
ここでは、関係を続けるための努力を「量」ではなく「どこから来ているか」で見る考え方を紹介します。自分がしている手間が、会いたい気持ちから来ているのか、それとも嫌われたくない気持ちから来ているのか。その違いに気づくだけでも、関係の見え方は変わります。
まずは「努力=偽物」という決めつけを外す
学生時代は、同じ教室にいれば自然に会えました。休み時間になれば話せて、帰り道が同じなら一緒に帰れました。会うために予定を確認する必要はありません。ところが卒業すると、住む場所も休みの日も違うため、会うだけでいくつもの日程を出し合うことになります。
この変化を「昔は自然だったのに、今は努力しないと続かない」と感じると、関係そのものを疑いたくなります。しかし、昔は2人の気持ちに加えて、学校の時間割や教室の配置が会う機会を用意してくれていました。何もしなくても続いていた関係には、何もしなくても会える環境があったのです。
卒業後に増えた手間は、以前は環境が用意してくれていた機会を、今は2人で用意していると捉えられます。会いたい気持ちが同じでも、会うために超えなければならない距離が長くなることはあります。その違いを友情の質の違いと受け取ってしまうと、生活が変わるたびに関係まで疑わなければならなくなります。