平均の数字は、自分の数字ではない
老後の家計を語るとき、よく引き合いに出される数字があります。総務省の家計調査をもとにした65歳以上の単身無職世帯の平均支出は月16万円台、年金収入は月12万円前後で、毎月2万円台後半の赤字が平均像になる、というものです。厚生年金の男性平均は月17万円前後とされますが、これは大企業で長く勤めた人も含めた平均です。国民年金だけなら月6万円を下回るという数字も示されます。
ここで気をつけたいのは、平均は「あなたの答え」ではないということです。持ち家か賃貸か、地方か都市部か、健康状態はどうかで、必要な金額は大きく変わります。平均を見て安心するのでも、絶望するのでもなく、自分の家計に置き換えて確かめるほうが役に立ちます。
「調べただけで、申し込んでいない」
公営住宅の倍率は高い、とよく言われます。9倍、15倍といった数字が挙げられることもあります。家賃が下がるのは魅力でも、落ちている間も今の家賃を払い続けることになる。だから申し込むのをやめてしまう。この判断は、一見すると合理的に見えます。
ただ、応募することと、当たることと、引っ越すことは、それぞれ別の出来事です。申し込み自体は無料で、落ちたところで失うものはほとんどありません。結果を予想して手を止めるのと、実際に落ちるのとでは、手元に残る情報が違ってきます。
引っ越しも同じです。初期費用で30万円、車が必要な地域なら維持費が年間30万円以上。動かないほうが安く済む場合も、確かにあります。だから「動けば正解」とは言えません。大事なのは、動かないことを選んだのか、怖くて選べなかったのかを、自分で見分けておくことです。
プライドと生活、という二択の置き方
65歳を過ぎてから、新人として頭を下げる。若い店長の指示で動き、ミスをして注意される。求人票の「スピードが求められます」という一文に、もう十分働いたという気持ちが重なる。この感覚は、わがままではなく、長く働いてきた人ほど強く出ます。
「プライドと、70代以降の生活、どちらが大事なのか」と問われると、答えに詰まります。どちらも本物だからです。ただ、この二択は少し乱暴でもあります。働き方を変える、週に数日だけにする、人に紹介してもらう、といった第三の道が残っていることもあります。二択に固定しなくていい場面は少なくありません。
面接で「お元気ですね」と言われて終わる、という経験は、年齢による線引きが実際にあることを示しています。これは本人の努力不足ではありません。
お金の計算に入りにくい「孤独」というコスト
単身の場合、赤字も孤独も、すべて一人で抱えることになります。夫婦なら年金が2人分あって家賃は1件分、という差は確かに大きい。一方で、配偶者以外に頼れる人がいない人は多い、という調査結果も知られています。
緊急連絡先の欄に書く名前がない。家で倒れたら誰が気づくのかと考える。こうした不安は金額に換算できませんが、生活の重さに直結します。そして、つながりの価値は人数や形ではなく、実際に頼れる相手がいるかどうかで決まる部分が大きいようです。
年金への怒りと、その持っていき場
何十年も保険料を払って、受け取るのが月12万円。半分以上を差し出して戻ってきたのがこれか、という気持ちになるのは自然です。年金は自分が積み立てたお金がそのまま戻る仕組みではなく、現役世代の保険料が今の受給者を支える仕組みだと説明されます。現役世代が減れば、その分だけ厳しくなる。怒りをぶつける相手が見つからないぶん、余計に苦しくなります。
怒ること自体は止められませんし、止める必要もありません。ただ、怒りでは金額は変わりません。感情を認めたうえで、手を動かせる場所を探すことになります。
動き出すときの優先順位
やることが多すぎると、人は動けなくなります。だから、全部を同時に解決しようとしないほうが現実的です。たとえば、次のような順番が考えられます。
- 今月の締め切りを1つだけ確認する。公営住宅の申し込みなど、期限が決まっているものから手をつける。
- 解約や手続きを、感情と切り離して考える。たとえば形見として残された保険も、現金化することで安心につながるなら、残した人の望みに沿う選択かもしれません。ただし、本当に手放していいかは、家族構成や他の備えによって変わります。
- 求人サイトだけで探さない。地域の掲示板、知人への声かけ、シルバー人材センターなど、入り口を増やす。ネットに出てこない小さな仕事は実際にあります。
- 毎日同じ時間に外へ出る。散歩は求人探しと関係なさそうに見えて、顔見知りを増やし、情報の入り口になります。
これらは効果を保証するものではありません。体調がすぐれない、気力が戻らない、介護があるという場合は、無理に動かず、医療機関や地域の相談窓口を先に頼ってください。
知っていることと、動けることの間にある距離
数字を直視したときに感じる重さは、意志の弱さの証拠ではありません。ただ、動けないでいる間にも、家賃は引かれ、貯金は減っていきます。だからこそ、全部を片づけようとせず、今月できることを1つだけ選ぶ。合わない方法は手放して、別の入り口を探す。その積み重ねが、止まったままの時間を少しずつ動かしていきます。