「銃・病原菌・鉄」は、原因ではなく結果
ヨーロッパ側が持っていたのは、銃と鉄の武器、そして病原菌への免疫でした。この三つを前にして、他の大陸の人々が圧倒されたのは確かです。
ただ、ここで話を止めると「持っていた側が勝った」と言い直しただけになります。ダイヤモンドが問うのは、なぜその三つを持てたのかという点です。彼はこれを人類史上でも指折りの難問だと位置づけ、答えを探す旅を始めます。
病原菌は、戦う前から帝国を削っていた
その旅の途中で繰り返し登場するのが、天然痘やインフルエンザ、麻疹といった感染症です。これらは旧大陸から持ち込まれたもので、武器による死者よりも、病気で命を落とした人のほうがはるかに多かったとされています。
南米のインカ帝国では、感染症の流行によって皇帝や後継者の候補が次々に倒れ、残ったアタワルパとワスカルの間で王位をめぐる争いが起きました。国が内側から割れているところへ、ピサロが率いる一団が到達します。
旧大陸で長く感染症と向き合ってきた人々と、それまで経験のなかった人々との間には、免疫の差がありました。同じ病原菌が行き交うなかで、被害の大きさはまったく違っていたのです。
勝敗を分けたのは、情報の扱い方でもあった
ピサロ側は、相手の国が内紛で疲弊しているという情報をつかんだうえで動いていました。一方のアタワルパ側も、やって来た相手が何者で、どれほどの力を持つのかを見極めようとします。両者は戦う前から、情報をめぐって間合いを測り合っていたわけです。
武器や免疫だけでなく、相手の状態をどれだけ知っているかが、その後の展開を左右しました。
「優劣」で説明したくなる心
ここまでの話は歴史の説明ですが、この問いが長く人を惹きつけてきたのは、私たちが差を見たときに「生まれつきの優劣」で説明したくなるからでもあります。人種や民族の間に生物的な優劣があるという考えは根強く主張されてきましたが、ダイヤモンドはそれを否定する立場から本書を書いています。
この癖は、歴史のスケールでなくても現れます。たとえば、職場で要領よく立ち回る人を見て「あの人は頭の作りが違う」と感じたとします。けれど実際には、入ってくる情報の量や、助けてくれる人の有無、失敗してもやり直せる回数の違いだった、ということがあります。仮の例ですが、原因を相手の内側に置いてしまうと、それ以上は見えなくなります。
この説明をどう受け取るか
ダイヤモンドの説は、歴史を地理的な条件から説明する一つの見方です。すべてを説明しきれるものではなく、歴史学のなかでも議論があります。環境だけでは人の選択や偶然を説明できない、という指摘もその一つです。
また、この考え方を日常にそのまま当てはめれば、努力や判断に意味がないという話になるわけでもありません。差が生まれる理由を一つに決めつけない、という構え方として受け取るほうが、無理が少ないように思います。
差を見たときに、相手の資質のせいにするのを少しだけ保留する。歴史の問いと身近な人間関係の問いは、原因をどこに置くかという一点でつながっています。