消えた理由をめぐる五つの説
では、彼らはどこへ行ったのか。化石ではなく、遺伝子から意外な手がかりが見つかった。2010年に発表された研究で、ネアンデルタール人の骨に残るDNAが解読され、アフリカ以外にルーツを持つ現代人のゲノムには、彼らから受け継いだ部分が1〜2%ほど混ざっていることが明らかになった。日本に住む多くの人もこれに含まれる。つまり、私たちの祖先はアフリカを出た後、各地でネアンデルタール人と出会い、子どもを残していた。彼らは完全に消えたのではなく、一部は私たちの中に溶け込んでいる。
それでも、ネアンデルタール人として生きる集団がいなくなった理由は、いまだ一つに定まらない。研究者が挙げてきた主な説は、次の五つに整理できる。
- 気候の急変:当時のヨーロッパは寒暖が短い周期で入れ替わり、獲物や植生が変化した。ただし彼らはそれ以前にも何度も寒さを乗り越えており、気候だけでは説明しきれない。
- ホモ・サピエンスとの競争:同じ土地で同じ獲物を追う競合が起きた。両者が数千年にわたって共存した地域もあるとされ、有力な説の一つ。
- もともとの人口の少なさ:ネアンデルタール人の遺伝的多様性は低く、近親交配の痕跡も見つかっている。小集団は病気や不運が重なると立て直しにくい。
- 巨大火山の噴火:約3万9000年前、現在のイタリア・ナポリ近郊で起きた大噴火がとどめを刺したという説。ただし近年の研究では、その後の寒冷化は1〜2年程度で、西ヨーロッパへの影響は限定的だったとされる。単独の原因としては支持を失いつつある。
- サピエンスが運んだ感染症:証拠はまだほとんどなく、議論中の段階。
どれか一つが決定的だったと言い切れる説はない。むしろ、複数の要因が重なったと考えるのが現在の有力な見方だ。
つながりの広さと、偶然という名の運
同じ時代のホモ・サピエンスとの違いとして、石器の材料の入手範囲が手がかりになる。ネアンデルタール人の石器は、多くが住居の近くで採れる石から作られていた。一方、サピエンスの遺跡からは、数百キロ離れた海の貝で作った装飾品が見つかることがある。遠くの集団と物や情報をやり取りする網が、サピエンスの側には広がっていた可能性がある。
ある場所で獲物がいなくなっても、網の向こうの仲間から助けや知恵が届く。気候が変わり、競争相手が現れ、もともと人数が少なく、時には噴火や病気が重なる。一つひとつは決め手にならない小さな出来事でも、小さな集団がそれを繰り返し受ければ、数は少しずつ減っていく。そして、人数が少ない集団ほど、偶然の不運で消えやすい。数万年という時間の中では、その偶然が何度も積み重なる。
私たちは「勝った」のではない。ただ、残った。その違いを分けたのは、能力の優劣というより、人数の多さとつながりの広さ、そして運だったのかもしれない。
「人類」という言葉の当たり前をほどく
今の地球には、ホモ・サピエンスという一種類の人類しかいない。肌の色も背の高さも話す言葉も違うが、全員が同じ種だ。しかし人類史の中では、これはかなり珍しい状態だった。5万年前には、アフリカに私たちの祖先、ヨーロッパから西アジアにネアンデルタール人、アジアの広い地域にデニソワ人、インドネシアのフローレス島やフィリピンのルソン島にも別の人類がいた。少なくとも五種類の人類が、地球のあちこちで暮らしていた時代があった。
もし4万年前、ほんの少し何かが違っていたら、今この文章を読んでいるのはネアンデルタール人の子孫だったかもしれない。そう考えると、私たちが「人類」と呼ぶ存在も、かつてはたくさんいた人類のうちの一つに過ぎなかったことが見えてくる。
ネアンデルタール人は、脳が大きかったのに消えた。それは、能力が高ければ必ず残るわけではないという事実でもある。環境が変わり、他者と出会い、偶然が重なる。生き延びることと、優れていることは、必ずしも同じではない。そのことを、彼らの遺伝子は静かに伝えている。