「早く成長したほうがいい」という言葉に、少し疲れることがあります。数学者・岡潔は、それと逆のことを書いています。成熟は早すぎるより遅すぎるほうがよい。そして学問や教育の中心にあるのは論理ではなく情緒だ、というのです。ただしこれは、晩年の随筆『春宵十話』で示された主張であり、実証された法則ではありません。ここではその考えを手がかりに、急かされる感覚とどう付き合うかを考えてみます。
岡潔はどんな数学者だったのか
1901年に大阪で生まれ、和歌山の自然の中で育った岡潔は、中学生のころ父親の書斎で見つけた一冊の数学書に強い印象を受け、数学の道へ進みます。フランス留学を経て帰国したあと、親友の死をきっかけに心身のバランスを崩し、大学を離れて故郷に戻った時期がありました。それでも研究を続け、多変数関数論と呼ばれる分野の難問を、約20年をかけて解いたと伝えられています。晩年は数学だけでなく、心や教育についての随筆も多く残しました。
「学問の中心は情緒である」とはどういう意味か
岡が繰り返し書いたのは、学問は頭でするものだという一般的な理解への異議でした。彼によれば、学問にせよ教育にせよ、その中心にあるのは情緒、つまり心だというのです。
ここでいう情緒は、喜怒哀楽だけを指す言葉ではありません。不思議だと思う、美しいと感じる、これは大事にしたいと思う——そうした心の動きの総体です。記事として受け取るなら、論理は問いを進めるための道具であり、問いそのものを生むのは情緒だ、という見方になります。どれだけ計算が速くても、知りたいという感覚がなければ探究は続きません。
『春宵十話』には「すみれはただすみれのように咲けばいい」という趣旨の一節があります。役に立つかどうかで自分の営みを測らなくてもよい、という受け取り方ができる言葉です。
「渋柿は甘柿より早く育つ」という警告
岡は柿を例に挙げます。渋柿の実は甘柿より早く成長する。だから成熟が早いと感じたら、まず警戒したほうがよい、と。
これは、目に見える成果の速さと、内側の成熟は別ものだという指摘です。テストの点、昇進、発信の反応——測りやすい数字はすぐ動きますが、理解の深さや納得感はそれとは違う速さで育ちます。
ただし岡自身、ある分野で人より早く成果を出すこと自体は素晴らしいとも書いています。早いことが問題なのではなく、早さだけを唯一のものさしにすることが問題だ、という整理ができそうです。成長の速さには個人差があり、早い人を否定する話ではありません。
「動物性」と「人間性」という分け方
岡は、人には動物としての性質と、その上に継ぎ足された人間性があると考えました。動物性は生存本能や競争本能、人間性は情緒にあたります。そして、教育が動物性を刺激する方向に傾いているのではないか、と懸念を示しました。
競争そのものを否定する必要はありません。ただ、順位や評価で自分の状態を測る癖がつくと、疲れているのに休む判断ができなくなります。たとえば、資格取得のペースや昇進の速さを友人と比べて焦る——仮の例として、そんな場面を思い浮かべると、岡の言う「動物性の刺激」が身近に感じられます。
日常で試せる小さなこと
以下は、この考え方に沿って自分で試せる行動の案です。効果を保証するものではなく、合わないと感じたら手放してかまいません。
- その日に感じた「面白い」「不思議」「嫌だ」を一つだけ書き出す。評価ではなく感覚を記録する。
- 比べている相手を一人思い浮かべ、その人と自分の条件の違いを一つ挙げてみる。
- 遅れていると感じる分野で、「これだけは分かった」を一つ拾う。
この考えが当てはまらないとき
「遅くていい」という言葉が、つらい状況に留まる理由や、必要な支援を避ける言い訳になってしまうことがあります。心身の不調が続いているなら、随筆を読むより先に、医療や相談の窓口を頼るほうが現実的です。
また、岡が情緒について、交感神経と副交感神経のバランスや脳の中央部という言葉を使って説明している部分は、彼の時代の理解に基づく記述です。現在の神経科学の知見としてそのまま受け取るものではありません。ここで紹介したのも、検証済みの理論ではなく、一人の数学者の見方としてです。
二つのものさしを分けて見る
急かされていると感じたとき、自分がどちらのものさしで今を見ているかを確かめてみる。順位や年齢や締切という外側のものさしと、納得や面白さ、続けられるかという内側のものさしです。岡の主張の実用的な部分は、たぶんこの区別にあります。外側のものさしを全部捨てる必要はありませんが、それだけで自分を測らなくてもいいという余地を残しておくことはできそうです。