老後の幸せを分けるのは、貯蓄額や健康診断の結果だけではありません。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが『老い』で掘り下げたのは、もっと地味で、けれど避けて通れない問いでした。ひとつは「自分はまだ、自分の意思で動き、誰かの役に立てる存在でいられるか」。もうひとつは「その社会が、年を重ねた人をどう扱うか」です。
この記事では、彼女が62歳で発表したこの著作で示した考えをたどりながら、老後の明暗を分けるものが何なのかを考えていきます。なお、ここで紹介する内容は同書の主張と、そこから読み取れる解釈です。すべての人に当てはまる結論ではない点は、先に触れておきます。
「老い」は何歳から始まるのか
ボーヴォワールは、老いを「不可逆的で不利な変化」として捉えていたと論じられています。単に年を取ることではなく、後戻りができず、本人にとって不都合な変化のことです。
つまり、体力が落ちていても自分の工夫や習慣でカバーできているうちは、まだ老いとは言えない。逆に、体が弱り、自分の力だけでは暮らしを保てなくなったとき、人はそれを老いとして自覚する。年齢という数字よりも、自由の範囲が狭まったかどうかが基準になっているわけです。
この定義は、老いを「何歳から」と区切る見方をゆるめてくれます。60代でも自由に動ける人もいれば、40代で体の制約を抱える人もいます。数字ではなく、その人の置かれた状況を見る視点だと言えます。
年を重ねた人の価値は、社会のあり方で変わる
同書では、社会が高齢者をどう扱ってきたかが、文化人類学や歴史学の知見を交えて論じられています。ここで押さえておきたいのは、年齢を重ねるほど価値が増す社会は、安定して変化の少ない社会にほぼ限られるという指摘です。
役割が残る社会では
たとえば、かつて南アメリカで栄えたインカ帝国では、5歳になれば誰もが社会の役に立つことが求められ、病や障害のある人も高齢者も、それぞれに割り当てられた務めを果たしていたとされます。その中で高齢者は権威ある存在と見なされ、助言や教育、手本を示す役割を担っていたということです。
変化の激しい社会では
一方で、資源が乏しい社会や移動の多い社会では、高齢者が犠牲になりやすい傾向が指摘されています。シベリアで暮らす部族の例として、歩けなくなった老人が共同体の重荷となり、死を選ぶことを宣告され、最後の晩餐のあとに家族の手で命を絶たれる慣習があったことも紹介されています。
この対比が示しているのは、老いのつらさが個人の心の持ちようだけでは決まらないということです。同じ体の状態でも、役割がある社会とそうでない社会では、老いの意味がまるで変わります。老後の孤独を「自分の努力不足」と捉える必要はない、という見方につながる部分です。
プラトンとアリストテレス、正反対の老年観
同書は、古代ギリシャの二人の哲学者の見解も取り上げています。師弟関係にある二人の結論は、驚くほど対照的でした。
プラトンは、老年になるとさまざまな欲望から解放され、自由と平和が与えられると述べ、恵まれた時を迎えられるとしました。高齢者が政治の指導者を務めることにも肯定的です。
これに対してアリストテレスは、老いには心身の衰えとともに卑屈さや臆病さ、自己中心性、心の狭さが目立つようになるとし、高齢者に大きな権力を任せるべきではないと論じました。ただし、老年を全否定していたわけではありません。「美しい老年」とは、その年齢にふさわしい緩やかさを身につけていること、ただし病弱であってはならない、とも述べています。
ここから読み取れるのは、精神の充実だけで老後が完成するわけではないという現実的な視点です。心の落ち着きを支えるには、体の状態がある程度保たれている必要がある。逆に言えば、体が不自由になっても、環境や支え次第で老いの質は変わりうるということでもあります。
働き続けることと、老いの関係
ボーヴォワールは、老いが仕事に与える影響も職種別に検討しています。知的労働や創造的な仕事に従事する人は、他の職種に比べて、加齢による生理的な影響を受けにくいとされました。
ただし、年齢が上がるほど才能が伸びるわけではない、とも結論づけています。科学者が老年期に独創的な発見をする例はごくまれだという調査結果も引かれています。
老年期の学者が直面する障害として挙げられているのは、二つです。ひとつは学問そのものの急速な発展。もうひとつは、自分が長年かけて築いてきた過去の業績です。新しい知識を取り入れ、ときにはそれまでの研究を根本から見直す必要に迫られる一方で、若い頃のように時間は残されていない。だから新しい挑戦よりも、過去の実績に留まろうとする力が働きやすくなる、という指摘です。
これは学者に限った話ではありません。長年積み上げた経験は強い武器になりますが、同時に、変化についていきにくくする足かせにもなりえます。経験をどう扱うかが、老後の柔軟さを左右するということです。
幸せな老後を分けるもの
ここまでの内容を踏まえると、老後の明暗を分ける要因は、ひとつの答えにまとめられそうにありません。少なくとも次の三つが重なって影響すると考えられます。
- 体の状態がある程度保たれていること
- 社会の中に役割や居場所が残っていること
- 新しい変化に対して、どこかで開かれていられること
ただし、これらは本人の努力だけでどうにかなるものではありません。病気や介護、経済的な事情など、個人では動かせない要素のほうが大きい場合も多くあります。この議論を「心がけ次第で幸せになれる」という話として受け取ると、つらさを抱える人を追い詰めてしまいます。個人差が大きく、支援が必要な場面では制度や専門家を頼るほうが現実的です。
今日からできる小さな備え
そのうえで、この著作から受け取れる実用的なヒントを挙げるなら、次のようなものになります。いずれも効果を保証するものではなく、ひとつの選択肢として受け取ってください。
- 体を動かす習慣を、若いうちから無理のない範囲で続けておく
- 仕事以外にも、地域や趣味など複数の役割を持っておく
- 年齢が上がっても、新しいことを学ぶ余地を残しておく
- 人に頼る練習を、元気なうちから始めておく
とくに最後の項目は見落とされがちです。頼られる側に慣れている人ほど、頼る側になることに抵抗を覚えます。しかし、助けを求める力は、老後の暮らしを支える基本的な力になります。
反対に、こうした備えがなじまない場合もあります。すでに健康や経済の面で大きな不安を抱えているときは、生活習慣の見直しよりも、相談窓口や支援制度につながることのほうが優先されます。
まとめ
老後が不幸になる人と幸せになる人の違いは、心の持ちようひとつではありません。体の状態、社会の中の役割、変化への開かれ方、そしてそれらを支える環境が重なって決まります。老いを「奪われていくだけの時間」と見るか、「関係と役割を作り直す時間」と見るか。その分かれ目は、本人の努力だけでなく、周囲の支えがあって初めて成り立つものです。