「よく見られたい」「認められたい」という気持ちが、なぜかえって人を疲れさせ、不幸を引き寄せてしまうことがあります。17世紀の哲学者ブレーズ・パスカルの『パンセ』には、この問いを考えるための手がかりが残されています。ここでは、パスカルが自己愛をどう捉えたかをたどりながら、日常で試せる心の置き方と、この考えが当てはまりにくい場合について考えます。
認められたい気持ちは、なぜ苦しさを生むのか
パスカルは、人間にとって最大の悪徳は「自己愛」だと述べています。自己愛とは、自分だけを愛し、自分だけを尊敬しようとする態度を指します。ここでいう「悪徳」は、罰を与えるための道徳判定というより、人間関係の中で摩擦や苦しさを生み出す心の癖という意味合いで使われています。
つまり、認められたいという願いそのものが悪いのではなく、それが「自分だけを中心に置きたい」という形に傾いたときに、本人も周囲も消耗していく、という見方です。
パスカルが人間観察に向かった背景
パスカルは1623年、フランス中部のクレルモンで生まれました。幼い頃に重い病気を患い、3歳で母を亡くすなど、体調や家庭環境は決して平穏ではありませんでした。父親は税務の専門家であると同時に、物理や数学を好むアマチュアの科学者で、学校に通わせる代わりに自ら英才教育を施したと伝えられています。
その影響もあってか、パスカルは12歳で三角形の内角の和が180度であることを自力で証明し、16歳で円錐曲線に関する論文を発表したとされます。30歳の頃には圧力の伝わり方に関する法則を見出し、のちに圧力の単位「ヘクトパスカル」にその名が残りました。
転機は28歳で父親を亡くしたことでした。最大の理解者を失ったことで、自分がいかに孤独な存在かを意識し、強い不安に直面したと紹介されています。そして自然科学から人間そのものへ関心を移し、哲学へと歩みを進めていきます。
『パンセ』はどんな書物か
『パンセ』は、キリスト教信仰の正当性を訴えるために書き進められた未完の原稿を、遺族が断片をつなぎ合わせて編んだものです。パスカル自身は39歳で亡くなり、完成を見ることはありませんでした。前後のつながりを持たない断片的な記述の集まりで、人間観察に関する部分と信仰に関する部分に大きく分けられます。
ここで扱うのは、人間観察の側です。神を中心に置く立場から人間を見つめた記述が、自己愛や承認欲求を考える材料になります。
自己愛の中心にある「自我」という厄介なもの
パスカルによれば、人間は「偉大な人間でありたいのに、実際は取るに足りない」「幸福でありたいのに、実際は惨めである」という矛盾を抱えています。この矛盾した状態から生まれるのが、最も防ぎにくく、最も罪深い情念だとされます。
自我が持つ二つの性質
自我には二つの性質があるとされます。一つは、自分をすべての物事の中心に置こうとすること。もう一つは、他人を従わせようとすることです。
たとえば、誰かにマウンティングされて嫌な気持ちになる場面を思い浮かべてみてください。それは、この二つ目の性質に触れたときに生じる不快感だと考えることができます。相手の問題というより、人間に共通する心の反応として見る視点です。
欠点を隠そうとするほど、苦しくなる
自分の欠点を指摘されるのは、誰にとっても嫌なものです。パスカルは、人間は自分の欠点を他人に知られないよう必死に覆い隠そうとすると述べています。そして、欠点があること自体よりも、それを認めずに意図的にごまかす態度のほうが、より悪いとされます。
仮の例として、自分の実力以上に見せかけようとしている人がいたとします。その人を「ずるい」と感じる一方で、自分も同じことをしていないかと問われると、答えに詰まるかもしれません。この指摘は他人を裁くためのものではなく、自分の内側を見るための鏡として読むことができます。
不幸を引き寄せないための習慣と注意点
パスカルの観察を日常に置き換えると、次のような習慣が考えられます。
- 自分の欠点を隠すことにエネルギーを使いすぎていないか、ときどき立ち止まって確かめる。
- 認められたい気持ちを否定するのではなく、「誰に、何のために認められたいのか」を言葉にしてみる。
- 他人の評価を操作しようとするより、自分の行動を整えるほうに意識を戻す。
これらは効果を保証するものではなく、あくまで一つの試し方です。合わないと感じたら、無理に続ける必要はありません。
この考え方が当てはまりにくい場合
自己愛を「悪」と決めつけて自分を責めるのは、パスカルの意図とはずれる可能性があります。また、自己反省を重んじる考え方は、自分を責めやすい時期には負担になることがあります。不安や落ち込みが強いときは、哲学の言葉だけで抱え込まず、専門的な支援を検討してください。
まとめ
パスカルの観察は、「認められたい」という気持ちを消す方法ではなく、それがどこから来て、どんな形で苦しさになるのかを見るための視点を提供します。自分をよく見せようと力む場面で一度立ち止まり、そこで何を守ろうとしていたのかを確かめてみる。その小さな振り返りが、不幸をわざわざ引き寄せない構えにつながるかもしれません。