職場での会話のあと、帰り道でどっと疲れが出る。親戚の集まりや古い付き合い、スマホに届く誘いの通知を見て、思わずため息が漏れる。少し距離を置きたい。けれど離れたら冷たい人と思われるのではないか。自分はただ逃げているだけなのではないか。──そんな思いを抱えた夜、ふと古い経典の一節が心に浮かぶ。
争う弟子たちのもとを、静かに去った日
古代インド、コーサンビーの僧伽でのことだった。弟子たちが些細なことで言い争いを始め、やがて言葉の刃で互いを突き刺し合うほどになった。見かねた一人の比丘がお釈迦様に頼んだ。「どうか哀れみの心で、あの者たちのところへ行ってください」。
お釈迦様は争う彼らのもとへ行き、三度「やめなさい。言い争ってはいけない」と諭した。しかし返ってきた答えは、「お待ちください。どうかお気になさらず、自分たちの安かな瞑想の中でお過ごしください。この争いは私たちが引き受けます」という、聞く耳を持たないものだった。
托鉢から戻ると、お釈迦様は自分の寝起きしていた場所を片付け、衣缽を手に持ったまま偈を唱え、その場を去っていかれた。『律』という文献には、その後、森の木の下でお釈迦様が思われたことが残っている。
「以前、私は言い争えばかりするあの高慢な比丘たちに囲まれて、楽ではなかった。今、私は一人、連れもなく、楽に安らかに暮らしている」
『中部相応』という経典には、少し違う形でこう伝えられている。「比丘や比丘尼、在家の人々、王や大臣たち、大勢の人に囲まれて苦しく、楽ではなかった。そこで私は群れを離れて一人で暮らそうと考えたのだ」と。
お釈迦様でさえ、人の輪の中にいて「楽ではない」と感じることがあったのだ。
「一人で歩め」という言葉の、本当の意味
お釈迦様がコーサンビーを去るときに唱えられた偈には、一つの条件があった。『ダンマパダ』にも収められている、よく知られた言葉だ。
「もし賢く、共によく暮らせるしっかりとした友を得たなら、あらゆる困難を乗り越えて喜びと落ち着いた心を持ってその人と共に歩め。もしそのような友を得られないなら、征服した国を捨て去る王のように、森を行く犀の角のように、一人で歩め」
「一人で歩む方が良い。愚かなものとは共に歩めない。一人で歩め」
「その前にまず『友を得たなら共に歩め』と書かれているのです。一人は二番目の道として書かれているのです」
ここでいう「愚かなもの」とは、頭の良し悪しのことではない。仏典での愚かさとは、「良い悪いの道理が見えずに、悪い行いへ向かってしまう心」のことを指す。そして「優れた人、等しい人」とは、肩書きやお金、好みが合うかどうかではなく、後の時代の注釈書では「行いの正しさ、心の落ち着き、知恵」のことだと説明されている。
さらに注釈書には、もう一つ大事な説明がある。「もし哀れみの心から見返りを求めずにその人を支えることができるなら、それは良いことだ。もしそれができないなら、しっかりと一人で歩め」と。支えられるなら支えればいい。支えきれないなら離れてもいい。優しくありたい気持ちと、離れるという選択。仏教はそれを認めているのだ。
どこで線を引けばいいのか──心の向きを目安に
お釈迦様の弟子、サーリプッタはこんな目安を語っている。
「この人と交わると、良くない心が増え、良い心が減っていく。そう分かったなら、たとえ暮らしの面でこうしていても、その人から離れよう」
「この人と交わると、良くない心が減り、良い心が増えていく。そう分かったなら、たとえ暮らしが苦しくても離れずに付いていけ」
お釈迦様も『中部相応』の別の経で、出家した弟子たちに同じ形の教えを説いている。ここで目安になっているのは、「楽か辛いか」ではない。「その人のそばで、自分の心が良い方へ向かうのか、曇っていくのか」だ。
これは出家した修行者に向けられた教えだが、私たちの暮らしにも通じる目安があるのかもしれない。その人と会った後、自分の心は穏やかになっているか。それとも人を攻めたり、自分を責めたりする心が増えているか。
離れることは、見捨てることではない
お釈迦様は付き合う人について語った経典の中で、「行いや心の落ち着きが自分より劣る人とは交わらない」とした上で、こう添えている。「ただし思いやりから、哀れみから関わるのは別だ」と。先ほどの偈と同じ向きだ。
けれど、離れたくても離れられない関係もある。家族、介護、職場。それは自分一人で決められることではないことも多い。お釈迦様は人への恨みが生まれたとき、それを沈める方法を幾つも挙げている。
- その人に慈しみを向ける
- 哀れみを向ける
- 平等な心で見る
- その人のことを思い出さず、心にかけない
- 「この人は自分の行いの持ち主で、その結果を受けるのもこの人自身だ」と心におく
四つ目の「思い出さず、心にかけない」。体はそばにいても、心の中で少しだけ距離を置く。それもお釈迦様が挙げた方法の一つだった。
去ったあとに訪れた、和解のとき
お釈迦様が去ったあとのコーサンビーには、その続きが残っている。町の在家の信者たちは話し合った。「この比丘たちは私たちに多くの迷惑をかけた。お釈迦様もこの人たちに悩まされて去ってしまわれた」。信者たちは争う比丘たちへの布施をすることも、托鉢の食べ物を差し出すこともやめた。
困った比丘たちはお釈迦様の元へ向かい、争いを納めようとした。やがて争いの元になった比丘は自分の過ちを認め、もう一度仲間に迎えられた。そして僧伽は再び一つにまとまったのだ。
お釈迦様が離れたことですべてが終わったわけではなかった。離れることは、縁を切ることとは限らないのだ。
「離れることも縁のうち」──鎌倉の言葉、吉田兼好の知恵
日本では人とのつながりを「縁」と呼んで大切にしてきた。だからこそ離れることに後ろめたさを感じるのかもしれない。その縁について、鎌倉時代の親鸞聖人がこんな言葉を残している。弟子の有縁が書き残したとされる『歎異抄』の一説だ。
「造るべき縁あれば伴う。離るべき縁あれば離る。共にいる縁があれば共にいる。離れていく縁があれば離れていく。それなのに、自分の元を離れて他の人について念ずるものは、往生できない。そんな風に言うのはとんでもないことだ」
これは「離れていかれる側」の言葉だ。離れていく人を責めない。「離れることも縁のうち」──そう受け止める視点がある。
離れ方について、『徒然草』で吉田兼好はこんなことを書いている。「人と向き合っていると言葉が多くなり、手へ心も落ち着かない。気が進まない時に嫌そうに言うのは良くない。帰ってそのわけを言ってしまえばいい。そして用もないのにふと来てのんびり話して帰っていく人は良い。久しくご無沙汰しています、とだけ書いた手紙も嬉しいものだ」。会う回数は減らしても、時々短い便りを出す。そんな距離の取り方もあるのかもしれない。
今夜、ほっと一息つける時間を
人間関係に疲れたら、離れてもいいのか。お釈迦様は争いの続く弟子たちのもとを離れた。「人の中で楽ではなかった」と。ただ「一人で歩め」という言葉には条件があった。
- 良い友を得たなら共に歩め
- 支えられるなら支えればいい
- 支えきれないなら離れてもいい
- 体ごと離れられないなら、心の中で少しだけ距離を置く
- そして離れることは、縁を切ることとは限らない
人に伝えて帰ってきた夜、自分を責めずにほっと一息つける時間がありますように。『中部相応』と『律』に伝わるこの教えは、今も人の中で疲れた私たちの心を静かに照らしている。