同じような人間関係のつまずきを繰り返したり、自分でも説明のつかない感情に振り回されたりするとき、「自分の意志が弱いからだ」と結論づけてしまうことがあります。ただ、ユング心理学では、心の大部分は自分で把握できる範囲の外にあると考えます。ユングが『自我と無意識』で示したのは、無意識を敵として退治する方法ではなく、無意識とどう折り合うかという視点でした。ここでは、心の層の分け方と、認めたくない自分の側面との付き合い方を順に見ていきます。
意識と無意識——心は二つの層に分かれている
ユングは、心をまず意識と無意識に分けました。意識とは、自分が何をしているか、どんな状況に置かれているかを認識できる働きです。無意識は、それに気づいていない状態、あるいは意識の光が届かない領域を指します。
無意識が行動や選択の多くを左右する、と言われることがあります。数字の大きさには諸説ありますが、「自分で選んだつもりの行動の背景に、自覚していない動機が混ざっている」という感覚は、思い当たる人も多いのではないでしょうか。
ユングはこの無意識を、さらに二つの層に分けました。ひとつは個人的無意識。生まれてからの経験、記憶、抑圧された感情が蓄積される、その人だけの層です。たとえば、子ども時代に強い干渉を受けた人が、自由への憧れと、自由を妨げるものへの抵抗感を同時に抱く、といった形で表れることがあります。
これは「過去が今を決定する」という断定ではありません。経験が反応の癖として残り、気づかないうちに選択に影響することがある、という見方です。
人類に共通する層——普遍的無意識と「元型」
個人的無意識のさらに奥に、ユングは普遍的無意識(集合的無意識)を想定しました。人種や国境、時代を問わず、人類が共通して備えている層だという考えです。
なぜ「世界樹」が世界に現れるのか
その例として挙げられるのが、世界は一本の大きな木で成り立つというモチーフです。北欧神話のユグドラシル、古代中国の天と地を結ぶ木、北アジアの民間伝承やシャーマンの世界観、古代アメリカの建築や芸術にも似た表現が見られます。
なぜ離れた地域に同じ発想が現れるのか。祖先が長く樹上で暮らした経験が無意識に刻まれた、という説が紹介されることもあります。ただしこれは推測の域を出ない説明であり、確定した事実として扱うものではありません。
元型は「イメージの型」として現れる
普遍的無意識は、元型と呼ばれる要素で構成されるとユングは考えました。「こういうものだ」と本能的に感じ取る、イメージの鋳型のようなものです。元型そのものを言葉で定義することは難しく、私たちが意識できるのは、そこから生まれるイメージになります。
代表例がグレート・マザーです。包み込み、生み出す母性は、聖母マリア、ギリシャ神話のガイア、仏教の観音菩薩などの形で表現されてきました。一方で、過剰な包容は飲み込み、支配し、破壊する側面も持ちます。ヒンドゥー教の女神カリーや、『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家の魔女は、その暗い側面を表す例とされています。
仮の例として、子どもを所有物のように支配する母親がいたとします。そのとき子どもは、母親への肯定感と拒否感の間で揺れることがあります。ユングの考えでは、こうした揺れは現実の母親だけでなく、心の中の母のイメージも関わって生じます。
父性側の元型は老賢者と呼ばれます。無条件に甘やかすのではなく、公平な態度で導き、誤りを戒める理想の父親像です。神話のゼウスや、物語に登場する老いた導き手がその例とされます。ユング自身も、人生の危機にあった時期、夢にフィレモンという老人が現れて教えを受けたと自伝に記しています。
「ダメな自分」とどう付き合うか
ここまでが無意識の地図だとすれば、実践的なテーマは「認めたくない自分」の扱いです。ユングは、人間の本性は光だけでなく多くの影を内包していると考えました。自分の中の影とは、認めたくない側面、理想の自分から外れる部分です。そしてペルソナは、社会の中で演じている顔、周囲に見せている自分像を指します。
記事としての解釈になりますが、影を無理に消そうとするほど、それは別の形で顔を出すことがあります。人の評価を過剰に気にしたり、特定の誰かに対して説明のつかない苛立ちを覚えたりするとき、そこに自分の影が映り込んでいる可能性はあります。
劣等感も同じです。劣等感を「持たないようにする」対象として扱うより、「自分が何を大切にしたいと思っているか」の裏返しとして眺めてみる、という見方があります。ただし、これで悩みが解消するとは言い切れません。個人差が大きく、無意識の説明だけでは届かない領域もあります。
現実の環境、体調、経済的な事情、相手の行動といった要素も悩みには強く関わります。すべてを心の内側の問題に還元しないことが大切です。つらい状態が続く場合は、心理の専門家や医療機関に相談する選択肢を残しておいてください。
無意識は敵か、資源か——フロイトとの分岐
ユングの立場を際立たせるのが、フロイトとの違いです。フロイトは無意識を、意識によって抑えつけられた欲望の塊とみなし、その中心に性的衝動を置きました。ユングはこの整理に同意できず、無意識を創造的な可能性を抱えた宝庫として積極的に評価しました。
二人は出会ってすぐに意気投合し、長く語り合ったとされます。ユングは父の無力さを感じて育ったこともあり、フロイトに理想の父親像を重ねていたかもしれない、という見方も紹介されています。しかし理論の違いは埋まらず、1912年にユングがフロイトの理論を公然と批判したことで、二人の道は分かれます。
決別後のユングは精神的に不安定な時期を過ごし、毎朝ノートに奇妙な絵を描くようになりました。やがてその絵が、密教のマンダラや錬金術、各国の神話に描かれた模様と似ていることに気づきます。ここから普遍的無意識という確信が形になっていきました。
今日から試せる小さなこと
無意識を扱うといっても、特別な訓練が必要なわけではありません。提案として、次のようなことを試してみるのはどうでしょう。
- 感情が大きく動いた場面を、短くメモする
- そのときの体の感覚(胸の詰まり、力の入り方など)を書き添える
- 浮かんだ言葉やイメージを、良い悪いの判断を加えずに残す
ポイントは、分析しようとしないことです。「なぜそう感じたのか」をすぐに決めつけると、かえって見えなくなるものがあります。しばらく眺めておくだけでも構いません。
逆に、書くことが苦痛になる場合や、思い出すと気持ちが大きく沈む場合は、無理に続ける必要はありません。自分一人で扱えないと感じたときは、専門家の支援を求めるほうが安全です。
まとめ
心には意識できる領域とできない領域があり、できない領域は個人的な経験の層と、人類共通の層に分かれている——これがユングの描いた地図です。無意識は退治すべき敵ではなく、まだ言葉になっていない自分の一部として扱う余地があります。
全部を説明しようとしなくても大丈夫です。まずは、自分の中の「よくわからない反応」を、わからないまま眺めておく。その姿勢が、劣等感や自己嫌悪との距離の取り方を少しずつ変えていくことがあります。