なぜ夫は稼いでも稼がなくても責められるのか――年収と時間の「見えない取引」の正体
働き方・キャリア

なぜ夫は稼いでも稼がなくても責められるのか――年収と時間の「見えない取引」の正体

読了目安:約5分
文字サイズ

婚活市場の「注文書」にすでにある矛盾

2024年秋、婚活中の女性479人を対象にした調査では、結婚相手に望む職業の1位が会社員(39.6%)、2位が公務員(33.9%)だった。選んだ理由のトップは「雇用が安定している」(35.3%)、次いで「年収が高い」(25.6%)。一方で、相手の働き方で重視するのは「残業が少なく休日が取れる」(46.5%)が半数近くを占め、「転勤や海外赴任がない」(29.9%)、「共働きに理解がある」(28.6%)が続く。

これらを並べると、「安定していて年収が高く、残業が少なく休みが取れて転勤もない人」という条件が浮かび上がる。しかし、会社員という同一の枠組みの中で、年収が大きく上がるタイミングは多くの場合「昇進」であり、昇進する人は残業・休日対応・転勤を断らずに引き受けてきた人たちから選ばれやすい。安定を選べば高年収はつきにくく、高年収を得れば時間の自由は削られる。結婚する前から、この二律背反は同じ紙の上に書き込まれているのだ。

昇進の代償を説明する「強欲な仕事」という概念

労働経済学には「強欲な仕事(greedy work)」という言葉がある。いつ呼び出されても応じ、長く働ける人に対して、1時間あたりの賃金を高く設定する仕事のことだ。この種の職務では、労働時間を2倍にすれば賃金は2倍以上に増える。時間を差し出せる人ほど、1時間の単価そのものが上がっていく。

大手金融機関で上司の異動を利用した自然実験では、上司と顔を合わせ、休憩を共にし、家族や趣味の話をする機会が多い社員ほど昇進が早かった。男女の昇進格差の約3分の1は、この「付き合いの時間」で説明できたという。飲み会に行くな、育休を取れという要望は、この昇進へのパイプラインである「見えない時間」を削れと言っているに等しい。

家から見えるのは「金額」と「時刻」の二つだけ

課長になった剣一の一日を追うと、朝8時出社、会議三つ、昼は弁当をかき込みながら部下の報告書に赤を入れ、夕方には取引先からのクレーム対応、夜7時から部長との会食、帰りの電車でメール返信、土曜日も部長から連絡が入る。2年前には単身赴任を引き受け、戻ったら課長の席が空いていた。同期で断った男は今も係長だ。課長手当月10万円、年120万円の上乗せは、こうした「断れない時間」の対価として支払われている。

しかし、食卓に置かれたメモに書かれているのは「今日も遅いね」の一言だけ。部長との会食で来年の人事話が出たこと、部下のミスを片付けなければ自分の評価が落ちること、それらのプロセスは家には届かない。妻のスマホに届くのは「ごめん、今日も遅くなる」の一報のみ。既婚女性600人の調査を年代別に見ると、20代では「残業が多い」が不満の46.9%を占めるが、40代では19.8%まで下がる。逆に「給料が低い」は20代の60.4%から40代で81.4%へ跳ね上がる。子供が小さいうちは夫の時間が欲しく、教育費が重なる40代では金が欲しい。注文は数年ごとに入れ替わるが、出世の道は途中で乗り換えられない。30代で残業を断り続けた人が40代になって課長の給料を得ることはできない。

年収を上げきっても消えない「時間の不満」

夫の年収ごとに妻の不満理由をみると、年収300万円未満では「給料が低い」が9割超。年収600万円を境に半分を切り、1000万円以上では0%になる。給料の不満は金で解決できる。ところが「残業が多い」は、年収1500万円以上を除くすべての年収帯で上位に残る。金で消せるのは金の不満だけだ。

子供が1人以上いる夫婦を12年間追跡した国の調査では、夫が休日に家事・育児をしない夫婦で2人目以降が生まれたのは37.5%だったのに対し、する夫婦では8割を超えた。給料は暮らしの不満を消し、家にいる時間は家族を増やす。どちらも家庭にとって必要だが、日本の会社では片方を取ればもう片方が減る仕組みになっている。

夫がどちらを選んでも責められる三つの構造的理由

  1. 高い給料は残業・付き合い・転勤と引き換えに支払われる(強欲な仕事のメカニズム)。
  2. その取引は家からは見えず、しかも妻の注文は年ごとに変わる(不可視なプロセスと可変的なニーズ)。
  3. 年収を上げきっても時間の不満は消えない(金と時間は別々の通貨)。

「全部同時に叶える」をやめ、交換条件を食卓に並べる

妻の注文が全部一度には叶わないなら、夫にできるのは「黙って全部満たそうとするのをやめる」ことだ。代わりに交換条件を家に持ち帰る。

  • この手当は毎晩何時間の遅帰と引き換えなのか。
  • この飲み会は来年の何につながっているのか。

例えば「週に2回は19時に帰る。その代わり会食は月1回に減らし、次の昇進は遅れるかもしれない」「あと3年は遅く帰る代わりに、その分の給料で住宅ローンを早く返す」。値段を見せた上で、どちらを取るかを二人で決める。剣一がメモの横に給与明細を置き、「課長手当は月10万円。その代わり毎晩3時間遅くなる。どっちがいいか週末に話そう」と書き出したように、見えない取引を可視化し、共同で選択する。稼げ、かつ早く帰れ。この注文に全部答えられる夫はいない。あなたの年収のうち、残業・付き合い・転勤と引き換えに受け取っている分はいくらぐらいだろうか。それを家で口に出したことはあるだろうか。

明日からできるアクション

  • 自分の給与明細を確認し、基本給以外の手当(役職手当・残業手当・赴任手当など)が「どの時間の対価か」を書き出し、パートナーに共有する。
  • 「平日19時帰宅を週○回確保する代わりに、会食を月○回に減らし昇進時期が○年遅れる」等、具体的なトレードオフを提示し、合意形成の機会を設ける。
  • パートナーが「今、最も欲しているもの」(時間的余裕か、金銭的余裕か)を確認し、ライフステージに応じた役割分担を見直す定期対話を半年に一度実施する。

シェアする

気になる記事から、別の視点も見つけてみませんか。

【名言】誇り高き労働——心に響く一言
働き方・キャリア

【名言】誇り高き労働——心に響く一言

「世界を動かしているのは歴史に名を残す偉人だけではない。今日あなたが流した汗、打ち込んだ一行のデータ、誰かへ渡した温かい一杯のお茶。全ての仕事が巡り巡ってこの世界を支えている」この言葉は、目立たない日々の業務こそが社会という大きな時計を回す小さなネジであることを教えてくれます。忙しい毎日の中で、自分...

記事を読む
ブラック企業が消えない理由──「選別」ビジネスモデルの構造
働き方・キャリア

ブラック企業が消えない理由──「選別」ビジネスモデルの構造

求人票には「月給25万円・アットホームな職場」と書かれ、面接の感触も悪くなかった。だが入社してみると話はまるで違う。終電まで働いても残業代は出ず、休日にも連絡が来る。先輩は次々と辞めていく。いわゆる「ブラック企業」の風景だ。この言葉がネットスラングから広まってもう20年近くになる。2013年には新語・流行語...

記事を読む
「働かないおじさん」はなぜ生まれるのか。職場の理不尽さを構造から考える
働き方・キャリア

「働かないおじさん」はなぜ生まれるのか。職場の理不尽さを構造から考える

「自分ばかり仕事を抱えているのに、あの人は何もしないまま同じ給料をもらっている」。職場でこんな疑問が浮かんだとき、それは単なる嫉妬ではなく、評価の仕組みそのものへの違和感であることが少なくありません。 先に結論を書くと、働かないベテラン社員は個人の性格だけで生まれるわけではありません。時間と年齢を評...

記事を読む
「すぐ採用」「アットホーム」が危ない理由——仕事選びで見ておきたい5つのサイン
働き方・キャリア

「すぐ採用」「アットホーム」が危ない理由——仕事選びで見ておきたい5つのサイン

結論:見るべきは「業種」ではなく「募集と辞め方の構造」 条件のよさそうな求人に入ったのに、すぐ苦しくなってしまう職場には、いくつかの共通する癖があります。給料の額や業種の名前ではなく、人の集め方、評価の仕方、人間関係の使い方、生活と職場の距離、そして「やりがい」の扱われ方に、その癖は表れます。 ここか...

記事を読む

気になるテーマを、次も。

フォローしたテーマの新着記事をホームに表示します。登録は不要です。