現代社会において、多くの人がスマートフォンを通じて情報を消費し、日々を過ごしている。しかし、ある講演者は「人生の答えはスマホの中にはない」と断言する。彼は7年間、学生に対して「人生の意味」を問う二つの質問を投げかけてきた。その問いと、脳の左右半球が担う役割の違い、そしてテクノロジーとの適切な距離の取り方について語られた内容を整理する。
人生の意味を問う二つの質問
講演者は授業初日、学生に次のクイズを出すという。
質問1:なぜあなたは生きているのか?
質問2:何のためならあなたは命を捧げられるか? 今すぐ、喜んで死ねるものは何か?
即座に答えが出せれば合格。逆に「考えたことがない」「答えのない質問だ」と言えば不合格だ。答えを持たないままでは「行き先を見失い、不幸になる」と警告する。幸福とは、人生を楽しみ、成果に満足し、何より「存在の意味、人生の『なぜ』を知ること」だと定義される。
左脳と右脳――「複雑な問題」と「複雑で解けない問題」
脳の左右半球には明確な役割分担がある。
- 左半球:「複雑な問題(complicated problems)」を扱う。情報や物事の「どうすればよいか(how-to)」と「何であるか(what)」を処理し、技術的な課題を解決する。エンジニア的な思考で、我々を有能かつ豊かにする。
- 右半球:「複雑で解けない問題(complex problems)」を扱う。愛、意味、神秘、信仰――理解は容易だが解決は不可能な、「人生の『なぜ』(why)」を司る。
人生には両方が必要だ。「なぜやるか」を知り、次に「どうやるか」を知る。結婚生活を例に挙げれば、愛し合うことは右半球の複雑な問題であり、決して「解決」されない。一方、車の仕組みは左半球的な複雑な問題として解ける。
スマホがもたらす「左半球的実存」の罠
平均的なアメリカ人は1日205回スマホを見る。画面を見るたびに、活動は左半球へ偏り、神秘や意味から情報と物質へ向かう。その結果、「左半球的実存」を生きながら、右半球的な意味を渇望する矛盾が生じ、人生を蝕むという。
講演者の次男カルロスも、InstagramリールやYouTubeショートをスクロールし、退屈と抑うつの狭間で時間を浪費していた。若者が陥る「偽の幸福の方程式」は次の通りだ。
ものを愛し、人を利用し、自分を崇拝する。
これはオンライン上の人生そのものであり、意味を欠いている。意味を失った人々は何かにすがろうとし、健全でないものにも飛びつく。
デバイスとの「新しい関係」を築く
科学は明確だ。スマホを海に捨てる必要はない。以下の時間帯だけはデバイスを離れ、現実の神経認知的プログラミング(対面の会話、食事、思索)に充てる。
- 起床後1時間
- 食事の時間
- 就寝前1時間
そして、「ググれない問い」を自らに投げかけること。それこそが右半球的体験であり、人間の本質である「問いを立てる営み」そのものだ。かつてスマホのない夜、友人と語り合った時間がまさにそれだった。
カルロスの変化――問いに答え、生きる順序を定める
講演者は息子に「答えを見つけてこい」と伝え、スマホなしで過ごさせた。彼はアイダホ州の小麦農場で1年半、1日16時間、時給11ドルで働き、その後海兵隊に入隊した。そして二つの問いへの答えを手にした。
なぜ生きているか? 神が私を造り、他者に仕えるために生かしてくださったから。
何のために命を捧げるか? 家族、友人、キリスト教の信仰、戦友、アメリカ合衆国と同盟国のために。政府と契約済みだ。
さらに彼は価値の優先順位を明確にした。
- ものを使う――豊かさと感謝をもって、市場、エネルギー、資源を活用する。だが愛してはならない。
- 人を愛する――目の前の人、屋根の下の人、日々の糧を得る過程で関わるすべての人。
- 崇拝は神のみに――崇拝に値するのは神だけ。
脳を「壊れない状態」へ戻す
テクノロジーとの適切な秩序、人との適切な秩序、そしてこれらシンプルな原則を教え合うことで、我々は脳を「壊れない状態(unbreak)」へ導ける。そうすれば自らの人生の意味を知り、他者にもその意味を伝えられるようになる。