もし、望む通りの経験を何でも味わえる機械があったら、つながりますか。つながっている間はそれが作り物だと気づかず、一生そのまま。ある調査では100人中84人ほどがつながらないと答えたといいます。気持ちのよい経験がすべて手に入るのに、多くの人が断る。この食い違いを入り口に幸福の正体を考えてみると、幸福は一つではなく、少なくとも三つの顔を持っていることが見えてきます。
気分の合計としての幸福は、どこかで行き詰まる
18世紀のイギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムは、人を動かすのは快楽と痛みだと考え、幸福を「快楽が多く、痛みが少ないこと」と定義しました。強さや長さ、確かさなど七つの物差しで快楽を点数化し、足し合わせようとしたのです。それを引き継いだジョン・スチュアート・ミルは、快楽には質の違いがあると反論しました。ただ満足している豚より、不満足でも人間であるほうがよい、というわけです。
この「気分の合計」という見方には、今も一定の役割があります。ある一日を細かく区切って気分を記録する調査では、人と会って話しているときやくつろいでいるときが上位で、通勤や仕事そのものは下位に沈みました。ただし、気持ちよさの合計だけが幸福なら、あの思考実験の機械につながるのが最も賢い選択のはずです。それでも多くの人が断るのは、快楽の足し算では捉えきれないものを感じているからでしょう。
人生を振り返る「はしご」と、お金のややこしい関係
幸福を測るもう一つの物差しは、人生全体の満足です。0から10までのはしごを思い浮かべ、いちばん上を「考えられる最高の人生」、いちばん下を「最悪の人生」として、今の自分は何段目にいるかを尋ねる方法です。世界140カ国余りを対象にした報告では、フィンランドが2025年まで8年連続で1位、日本は55位でした。
この物差しとお金の関係は、思ったより複雑です。日本では1958年から暮らしの満足を尋ねてきました。高度成長期に一人当たりの豊かさは5倍になったのに満足は横ばいだと言われてきましたが、1964年に回答の選択肢が変わっていたことがわかり、区切りごとに見ると豊かさとともに満足も上がっていました。豊かさが満足を上げたのか、景気の良さで一時的に上がっただけなのかは、経済学者の間でも意見が分かれています。
個人のデータでは、年収が上がるほど人生のはしごは上がり続ける一方、日々の気分は年収7万5000ドルあたりで止まるという結果が2010年に出ました。その後、スマートフォンで頻繁に気分を尋ねる調査では気分も上がり続けたため、二人の研究者が同じデータを調べ直し、2023年に結論を出しています。それによると、線が平らになるのはもともと幸福度が低い約2割の人だけで、幸福度が高い人ではむしろ上がり方が急になっていました。失恋のようにお金では軽くならない辛さがある、という解釈も添えられています。
気分でも満足でもない、「よく生きる手応え」
アリストテレスは幸福を気分の話とは考えませんでした。人が持っている力をよく働かせて生きることこそ幸福だとし、一羽のつばめが来ても春にはならないように、幸せな一日があってもそれだけでその人を幸福とは呼べないと書いています。友についても、他の良いものを全部持っていても、友のいない人生を選ぶ人はいないだろうと残しました。
この「よく生きる手応え」は、現代の統計にも取り入れられています。宮城県大崎地域で1994年に40〜79歳の4万3000人余りが「生きがいがあるか」と尋ねられました。7年後の状況を比べると、生きがいがないと答えた人では亡くなった人が5割ほど多かったといいます。ただし、これは生きがいが命を伸ばすと確かめた実験ではありません。体が弱い人ほど生きがいを感じにくかった可能性もあり、結果の向きを急いで決めつけることはできません。
ジョン・スチュアート・ミルは20歳の秋、目指していることが全部叶ったとしても大きな喜びだろうかと自問し、「いいえ」という答えが返ってきて生き方の土台が崩れました。その冬は生きる理由が見つからないように感じたといいます。その後、本の中の少年が家族を支えると決める場面で涙を流し、自分は石でも木でもないと心が動くのを確かめました。ミルは後に、自分は幸福かと問えば幸福ではなくなる、幸福そのものではなく他の人の幸福や打ち込める何かを目指す人が、その途中で幸福を見つけるのだと書いています。この逆説は、幸福を直接の目標にするとかえって遠ざかる場合があることを示しています。
人とのつながりが、三つの物差しを支える
幸福を追い求める気持ちの強さと幸福度の関係を、アメリカ、ドイツ、ロシア、日本、台湾の若者約800人に尋ねた調査があります。アメリカでは幸せを強く求める人ほど幸福度が低く、ロシアや日本、台湾では強く求める人ほど幸福でした。ドイツでははっきりした違いは出ませんでした。この違いを分けていたのは求め方で、人と関わる中で幸せを求める人が多いところでは、求めることが幸福につながっていました。ただし、大学生を中心にした一回限りの調査なので、国の違いだと断定はできません。
長期的な記録も同じ方向を指しています。1938年にアメリカのハーバード大学で始まった追跡調査は、85年以上にわたって人々の健康と生活を記録してきました。50歳の時点で測ったさまざまな項目のうち、80歳の健康をもっともよく言い当てたのは、血液のコレステロール値ではなく、人間関係への満足でした。50歳で人間関係にいちばん満足していた人たちが、80歳でいちばん健康だったのです。喧嘩の多い夫婦でも、いざというときに相手を頼れると感じていた人は、年を取ってからも記憶がよく保たれていました。最初の参加者は全員男性でしたが、今はその子どもたちの世代も加わっています。
ここまでの答えを整理すると、幸福は大きく三つの物差しに分けられます。
- その日の気分
- 人生を振り返った満足
- 意味のあることをして生きているという手応え
ベンサムが足し算しようとした快楽、はしごの問い、アリストテレスのエウダイモニア。どれかが勝ったのではなく、今も別々の物差しとして使われています。
幸福の正体は、一つの言葉にまとめられないようです。気持ちよさ、人生への納得、よく生きている実感。どの物差しで測るかによって、同じ人でも答えが変わる。経験の機械を断る人が多いのは、快楽の合計以外に、人生全体の満足や、他者とつながって生きる手応えを求めているからなのかもしれません。自分が今どの物差しを使っているかに気づくだけでも、「幸せとは何か」という問いとの距離は少し変わってくるように思います。